広がる世界に飛ぶ余裕…そして、現実生活の栄養として

昨夜(6月21日)ザ・シンフォニーホールで『日本センチュリー交響楽団』の定期演奏会に行ったことをツイッターで呟きました。

「今晩、シンフォニーホールでの日本センチュリー交響楽団の定期演奏会を聴きにいきます。センチュリーを聴くのは初めて…すみません。今夜のチケットは完売だそうです。」

「ザ・シンフォニーホール、日本センチュリー交響楽団の定期演奏会から帰ってきました。ステファン・ブルニエ指揮の素晴らしい演奏会でした。ラロのスペイン交響曲ニ短調作品21のヴァイオリン、神尾真由子さんの演奏に拍手が鳴り止まず。ソリストアンコールはパガニーニの24の奇想曲から…凄かった!」

「日本センチュリー定期演奏会。私はセンチュリーの演奏は初めて。男性客の比率の方が多い‼ように感じた。お隣にいらした水野理事長にうかがったら、いつも以上の男性比率だそうでした。」

他にも細かくは呟きましたが、主なものは以上。

で、翌朝(今)になってFBに向かいながら書いているのは、昨日のメイン、ラロの交響曲や神尾さんの演奏も凄かったのですが、プログラムの3つ目、ブラームスの交響曲3番が頭から離れないからです。

第3楽章の有名な旋律は、クラシックファンでなくても「あっどこかで聴いたメロディだな」と感じる人も多いのではないでしょうか。(’61年の映画「さよならをもう一度」で使われたそうです)

クラシックの蘊蓄を傾けるほど詳しくはありません。(これは文楽も同じです)私は小学校時代の絵の先生から「美しいものを美しいと感じ、心に響くものを感動したと言えるような人になろうね」と言われた気がしています。(大昔なのできちんと記憶している筈はない)

記憶というのは自分の都合のいいように改ざんされるのかも知れませんし、逆に今を生きるためにはその方が都合がいいのかもしれません。だから、私にとってその先生は「人生の楽しみ方を増やしてくれた」先生なのです。そして、本当に誉めるのが上手な先生でした。

その先生はだいぶ前に亡くなりましたが、絵の時間に絵を教えるのではなく、恐らく自分の子ども時代のことだと思いますが、面白おかしく物語を話してくれる先生でした。「今日は絵の時間にする」と言われて皆でブーイングをしたような記憶もあります。

演奏会で出会う様々な経験も、その空間にいたという共存感と、そこで得たことを広めたいという他者との繋がりを求める気持ち。そんなことまで感じさせてくれる演奏会と、今のデジタル時代ならではの検索手段によって、情報の肉付けも昔とは比較にならない便利さです。

だって、今もバーンスタイン指揮のイスラエルフィル演奏、ブラームスの交響曲3番、第3楽章をユーチューブでBGMにしながらこの近況を書いているからです。