滅多に反応しないのですが…


さて、めったに反応しない類のツイートを先ほど続けて投稿しました。「勝って兜の緒をしめよ」といっても知らない人の方が多いのでしょうかね。ある大阪府議会議員(維新の会)の方からのひと言に反応したものです。反応しすぎという「反応ツイ」も多いかもしれませんね(苦笑)

では、貼り付けます。

昨日の午前9時41分に、堺市から維新の会府議会議員として選出されている「永藤英樹」さん@nagafujihidekiから、港区の市議補選に関して呟いた件について私宛のツイート。反応しなくて良い内容ですが、御自身の活動報告サイトにツイッターが埋め込まれており、少しだけ反応します。

私のツイートは昨日朝、8時12分に「港区民にとって、あるいは大阪市民にとって、維新が掲げた「大阪市解体」という選択肢を支持したという民意が示されました。」と呟いたもの。それに対して「昨年の大阪市長選挙ではその民意は感じられなかったのですか?」と書かれたものです。

永藤さんは公職にあり、実名ツイートなので、ひと言。私は「大阪市解体」に繋がる判断を港区民がしたことが(民意)になると呟きましたが、去年の市長選で撒かれたビラには「大阪市は潰しません」とハッキリ書いてあります。 http://bit.ly/T4G3ph 

@nagafujihidekiさんが「その民意」というのは、私の「呟き」からは、「大阪市解体」やむなしという判断をした人の方が港区では多かったことを嘆いたもの。去年の選挙時には橋下さんは「大阪市は潰さない」と言っていたのを受けた「民意」であるとするなら、矛盾はありませんか?

以上、本来は反応しないで良いツイートにツイ反応してしまいました。

まぁ、来年は堺市長選があります。大阪維新の会は当然「堺市分割」を狙いながら「堺市は潰しません」というのでしょうかね???

がれき広域処理への疑問など


今朝のツイートはがれき広域処理に関するある方の質問から広がりました。まとめますね。

私には論評するだけの知識はありませんが、とりあえず【拡散希望】 @ある方のツイです: がれき受け入れについて医師の立場からの意見書が平成23 年12 月21 日の日付で大阪府知事の 松井氏と大阪市長に送られていました。http://bit.ly/tmv4YD 

瓦礫広域処理について、私は放射能の専門家でもありませんし、大阪市から試験焼却と埋立ての結果が発表されたものの「焼却前と変わらない」という内容も予測の範囲。それよりもなぜ遠くで処理するのか、それにかかる費用を被災地近くの復興や「森の長城」などに向ける方が知恵があるでしょ!

見えない放射能拡散を危惧する気持ちも分かります。でも、あれだけ反対の動きがあっても強行した大阪での瓦礫試験焼却…このこと自体を知らない関西の人たちが結構おられることを聞きました。そういう意味で【拡散希望】をツイしました。

被災地に思いを馳せる。当たり前として、なぜ福島の人たちを大規模に受け入れるということを全国で考えないのか。あるいは宮城、岩手の人たちも全国で受け入れようという動きこそ、この国としてしなければならないのでは。

震災当初と原発事故の実体が明らかになったころから、なぜ、国は緊急避難を県境で考えるのか…。不思議です。福島の原発事故による放射能の将来被害を防ぐためには日本全国で「人」と「暮らし」の自由移動(福島県民として避難先との二重県民として)を広域実施する…その方が国として自然。

東京都での広域処理の問題点もその視点がありました。大田区議会議員の奈須りえさん@nasurieに東京での処理費用などの情報をツイッターで貰ったのも随分前です。ツイ界では維新の市議の誰だったか「儲けるためには受け入れる」みたいなことを言ってたとか噂が…。 

以上ががれき関連のツイートでした。このツイートの最中にいろいろと反応があり、それにも返信したのは省いています。原発の安全神話は崩れたという事実。それと同時に「専門家」と言われる人たちにも大きな見解の隔たりがあることも見えた3.11。

「10万年後の安全」とは何か、是非ネット検索してみてください。人類の知恵、核の平和利用、それは放射性廃棄物の危険性が安全レベルに達するのに10万年もかかるという指摘の中で、今も増え続けている「廃棄しようのない廃棄物」の実体です。

ためていた思いのホンの少しだけ

ある意味、ふっきれた気持ちで今朝呟きました。相変わらず橋下支持者からは「批判ばかり」と言われますが、今の大阪市長という重責を担いながら、全国行脚している代表代行、地域政党代表の動きを伝えるメディアの姿に、半ばあきれながらためていた気持ちを、ほんの少し放出しただけです。

ではいつものように今朝の呟きから

大阪市長は暇ではありません。267万人と昼間流入100万人と言われる都市で、いつ災害が起きるかどうかわからない中でこれだけの日数を政務に充てることの異常さを、市民はどう思うのか。一市民として全く納得できません。

近い将来起きるといわれる、近畿に大きな被害を及ぼすであろう地震に対する備えはどうなのか。老朽木造家屋の密集したところで、自助、共助の体制にどれだけ直接行政として寄り添えているのかのチェックなど。公募区長や特別顧問に任せるだけでいいはずはありません。
 
市民の命と暮らしをどう守るのか…。制度を変えるだけで大阪が良くなるとイリュージョンを振りまいた方に大きなエールを送り続けた関西のテレビ、新聞。「市長批判」をするとスポンサーへの「非売運動」投稿や電話が殺到する。ならば、それよりも多い「翼賛報道批判」メールや電話が結構有効では。

すでに選挙の審判を受けて丸一年が経過しました。今は一市民として発言してもいいだろうという気持ちでつぶやいています。(笑)どうぞよろしく!

以上が一連の呟き。そして頂いた質問「市長時代、平松さんはどんな勤務だったですか?橋下さんのようならことは、可能な感じでしたか? 」に対しては
「街の隅々まで見て歩きたい…市民協働チームと土曜、日曜、可能な限り走り回ってましたので、想像したことも考えたこともありません。行政のトップでしたから。」と返信しました。


日本未来の党結成のニュースを受けて

昨日、滋賀県嘉田知事が立ち上げられた「日本未来の党」。ようやく、第三極とも言える政党としての出現かと期待できるのか。あと一週間しかない中での候補者選び、既成政党からの合流、野合批判などなど様々な「雑音」が渦巻くでしょうね。早く、顔ぶれが見たいものです。

批判として予想されるのは「小沢隠し」だとか、先ほどもいった「野合」批判。でも、「卒原発」という思いが中心になることで、選挙直前、不透明さを増しつつある既成政党、日本維新の会などとの違いは出ると感じます。それでも最終的には人物を見極められるかどうかでしょう。

僅か、12日間の選挙期間と公示まで一週間、つまり実質20日間を切っています。「第三極を二分」などという見出しが出た新聞もありますが、どれだけ「違い」をきちんと訴えることができるか。また、「日本の未来」を本当に託せるかどうかを判断したいですね

私は去年の3月11日、福島第一原発の事
故が起きた日は「クリーンで安全」という神話が崩れた日でもあります。それから広瀬隆さんの「原子力時限爆弾」を読み、小出裕章さんの活動を知り、当時の大阪市長として関西電力に「脱原発」の方向性を模索して欲しいと株主総会に出席して要望しました。

民主党のマニフェストが発表され、30年代に原発ゼロを明記したそうですが、今回、はっきりと「卒原発」を柱にした政党ができたことで、エネルギーシフトの問題を日本の産業界全体を通じ、今、電力事業で働いておられる方たちの「仕事の質」を変えていく力になればと思います。


そして、国を挙げて、原発大事故を起こした責任と、事故を克服しようという姿勢を、あらゆる分野で展開していく動きの第一歩を委ねられるかどうか。選挙までの時間は短いですが、政治家の質を問う政党としての「矜持」を明確に出して頂きたいと感じます。

愚痴ではないけれど…


今朝の新聞に例によって支持率調査が出ていた。ため息もので読んだ。そんな印象を呟きました。

政党支持率調査でまたも日本維新が上昇機運。by朝日。他紙も似たり寄ったりなんだろうな…。「投票に行ってもこの流れは変わらないだろう」といって棄権することほど怖いことはありません。そんな流れに「待った」をかけるのも、「棄権」や「白紙投票」では意味がないのです。

前回の衆院選で民主党が圧勝したのは「国民の暮らしが第一」というキャッチフレーズと、「改革」と称して、弱者を切り捨ててきたやり方への大きな不安・不満が「民主党」に流れた部分が大きい。期待はずれに終わった3年間で、この国に必要な政治家は「言うだけ」の人たちではないことが分かった筈。

受け皿は…というのが本当に今マスコミがこぞって名付けている「第三極」なのか? 何もかもメディア露出が先にあり、その場その場で大方針すら変えてしまうのが政治家の矜持か? わたしゃ違うと思いますがね。

変える」…誰のために。「スピード感」…事故が起きれば戻れない。「決断力」…この世は矛盾に満ちているのに、その調整すらできない証明。 結局「節度」のない、「相手を倒す」ことだけの政治を求める人が多いのか?

以上ですが、このあとに「ため息」が出るのを何とかしたいなぁ。

今こそ冷静に…なれと言われても…でも本当です。

ちょっと脱線気味のところもありますが、解散後の様々な動きについて、午前中に呟きました。

こんにちは。案の定、選挙一色の報道になりましたね。ギャグだと思ったと先日つぶやいた「太陽の党」は秋の陽よりも早く、つるべ落とし状態で日本維新に合流。でも、ネットでの批判的な意見と同時に、ムードに流されないような選択をとマスコミの論調も微妙に変わっている感じはあります。

そのマスコミの論調ですが、そもそも「第三極」のムーブメントを見出しとして欲しがったのはマスコミであり、絶えず批判を続けてきた自民党に代わる政党として民主党をもち上げた3年前の報道。更には支持率調査でジェットコースター政治を面白がった流れが今回は冷静かどうか。これも見極めないと。

何といっても去年の3.11以降。この国が直面していた少子高齢化社会と格差の拡大状況がより一層鮮明になっているにも拘らず、震災、津波、原発事故にどう取り組むのかを大きな方向性で明らかにしなければ「分かち合いの社会」を築くことなどできないでしょうね。

テレビのインタビューで「どこへ投票していいか分からない」という声が...
流れるにつけ、それに頷くだけでなく、「絶対間違いない候補」が見当たらなくとも、よりましな「候補」を選ぶことでこの国の方向性に意見表明ができるという日であることには間違いありません。棄権だけは避けましょうね。

ちなみに、「野合」批判という点では去年の大阪市長選挙で自民、民主の推薦と共産党の自主路線で応援を貰った私ですが、基本理念は「市民と共に」であり、その一点で4年の動きを見て、よりマシだと思われ、応援してもらったと思っています。それを「野合」だと大声で批判した人たちです。

最近も区割り案などが出ながら、過去の合区と同じ感覚の記事が出、「大阪市」として一体だからできたことを大阪府(都)が同じようにできるはずはないという当たり前のことを言い続けても届きませんでした。特に「維新の会」の市会議員は「大阪市」を潰すための存在です。

まだ、新人は一年半しか過ぎてませんが、「維新の会」の市会議員が大阪市を良くしてくれた実例を是非教えて頂きたい。特に自民党を離脱して維新になだれ込んだ人たちはベテラン議員の方もいたはず。何が良くなりましたか?市民にとって話し合いの場を多く作れましたか?地方分権の姿は見えましたか?

そんな人たちが新たな野合を企てる党首の下で幻想をふりまきながら、国政に足をかけようとしている。登る太陽ではなく、沈む傾いた太陽と共に。 冷静に、この国の政治を変えるには一度の選挙では無理。それを性急に変えようという主張は、ここまで病んでしまった国の力を削ぐ方向にしか働かない。

石原さんは本当に有名な方で、その人が代表になった。代表代行は今や飛ぶ鳥を落とす勢いの未来の頼朝だそう。…で、石原さんの実績って何?’73年に「青嵐会」のリーダーとして政策集団を率いたのが40年ほどまえ。そのころと変わっていないとすれば、40年かけて出来なかった証明?

解散当日のテレビインタビューで日本維新の会の松野議員団長が、現市長、(代表代行、他にも肩書あるんでしょうね)の手腕を評価。「二重行政の打破のために協力しようと持ちかけたが市長に反対されて、改革のために市長になった」というインタビューを見た。反対したのは当然私ということになる。

思わず、椅子からずり落ちた。松野さんって大阪府、市の二重行政のどこが問題だと指摘されたのか恐らく知らずに言っている。前知事肝入りの大阪府の調査会最終報告ぐらいは読めばいいのに。「統合本部」などではなく、「府」と「市」の協議会でやることが第一歩と書いてあるんだけど。

そして、そんなインタビューが流れると、多くの「二重」は無駄だという刷り込みをされた方たちが「やっぱり二重だったんだ。改革できてない」と新たな思いこみ。地方分権のニアイズベターの精神は殆どが府県から政令市へ財源と権限を渡せばすむ問題。二重が無駄なら「五重の塔」はどうなんねん。

あかん、関西人だからついウケを狙って滑ってしまう。現在ある道州制論議というのもある意味、現在の3重構造を4重構造にするとか、あるいは都制ができてしまえば、極端な話「五重の塔」的に新たな権力構造を生み出す可能性すらある。それを力でねじ伏せるだけのリーダーが必要という流れ…おぉ怖!

12月4日公示の16日投票。なら、公共政策ラボのシンポジウム「いま、日本、なぜ ポストグローバル社会と日本の未来」 http://ticket.pia.jp/pia/ticketInformation.do?eventCd=1250943&rlsCd=001 は公示前日。当然出席の方々の熱いトークも選挙を避けては語れないだろう。チラシは bit.ly/UnGiZb

大阪市民の方で、具体的に大阪維新の会の市会議員の活動について、良くやっている、頑張っているというのを是非お教え下さい。勿論反対の証言でも結構です。代表の姿しか見えないのです。

歴史の空間で遊びましょうよ!

今日、国立文楽劇場で仮名手本忠臣蔵の夜の部をみますが、私が如何に古典芸能に知識がなかったのかも含め連続ツイートをまとめます。お恥ずかしい部分もありますが…どうぞ。

仮名手本忠臣蔵を見るにあたって、歌舞伎も見ていない私にとって、色々な「発見」がありました。子供の頃、銭湯の映画ポスターで「オールスター、総天然色」という文字が踊り、大スターの競演定番だった「忠臣蔵」。これとは違うということを、恥ずかしながら具体的に知ることになりました。

橋本治さんの「浄瑠璃を読もう」の最初が仮名手本忠臣蔵。その書き出しで、題材は赤穂浪士の討入であるが、史実は元禄14年(1701年)の「刃傷松の廊下」。しかし、寛延元年(1748年)初演の仮名手本…では舞台を暦応元年(1338年)の太平記の時代に移して上演されたこと。初演は大阪(当時は大坂といった筈とご指摘あり)。

なぜそうしたのかについて、橋本治さんは「幕
府が現実の事件をそのままドラマ化するのを嫌ったという事情もあるが、それ以前に浄瑠璃は自分たちの知っていることをそのままドラマにしないという性質を持っている」と続け、太平記に仮託した赤穂浪士のドラマではない。ただ、「仮名手本忠臣蔵」というドラマなのである。(「浄瑠璃を読もう」12頁)

江戸時代の庶民の芸能として大人気を博し、三業の切磋琢磨の中で培われてきた人形浄瑠璃文楽を、今の時代にどう見るかといった、面倒なことを考えるより、大阪という土地柄が育ててきた地味を楽しむ。

歴史の空間に漂う思いで「浸かればいい」。そういう指南をしてくれている本(浄瑠璃を読もう)だと感じています。国立文楽劇場は「文楽」だけを楽しむには確かに客席が広すぎるという難点はあるでしょうが、すでにあるものをどう楽しむかと想いを巡らすのもまた一興。楽しんできます。

以上です。