秘密保護とメディア、政治家

久しぶりに今朝の呟きから…
日差しは暖かですね。のんびりぼんやりとした朝を迎えました。新聞を読む気が起きないほど「秘密保護」についての過熱報道…当たり前の対応ですが、これは自民党圧勝の基盤整備をしたメディアの力による部分も感じる皮肉な現実だと思います。

分りにくいですか?当たり前の対応…知る権利を制限されるという憲法の骨格をも平気で踏みにじる体質があるのは、大メディアであれば当然知っているでしょう。でも、アベノミクスに繋がる地盤ならしをしたのもテレビを中心とするマスコミと大新聞ではないのですかという疑問です。

確か、TPPをめぐっても同じ展開がありました。まるでいいものであるかのような「TPP礼賛」報道を連続しておいて、いざ参加表明という段になるといきなり「問題点」の列挙が始まる。これはマスコミの戦犯回避アリバイ作りと取られても仕方がないと感じます。

今回、衆院を通過した法案。朝日新聞政治部長は「参院の修正力 問い続ける」という見出しで一面に。ところが「ねじれ国会を正常化」という論旨をそのままに大きく報道した部分があったのかなかったのか。私はあったと感じている。ねじれているからこそ守られるものがあるという部分。

自民党という巨大政党の国会議員には、当然こうした拙速を戒める良識ある方たちがおおぜいおられると思っていたが、果たして今後どういった議論がなされるというのか。権力の思うがままに「秘密」を指定できるという「暗黒時代」を私たちは迎えるのですか。

「都」構想は足踏み状態だと思われている方に…現実は

大阪市会のインターネット配信で6日の決算特別委員会の公明党待場議員の質疑の様子がアップされている。http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu260/live/wmv/special_committee/20131106ippan3.asx … 15分過ぎから市立高校の広域への移管(府へ)についての質疑で、「都構想」とは関係なく市立高校を移管するという話が具体的に…。

大阪市民の皆さんは、大都市局で考えられている市立高校の府への移管は「都」になる、つまり大阪市が「廃市」になったときに当然「大阪市立」高校はなくなる…そう思われてはいませんか。ところが現場で進んでいるのは、「都」とは関係なく「市立高校」がなくなるという方向性です。

特に教育問題を巡ってうわべの事象だけを追いかけがちなメディアではありますが、6日のこの委員会の内容について触れたメディアはあったのでしょうか。大阪市の「解体前」に市立高校の資産なども「広域」=「大阪府」に移すのでしょうか。どうして知らされないのか。新聞だけではもう無理ですね。

あまりにも議会無視だと、普段は温厚で紳士的な待場議員が堪忍袋の緒が切れたかのように「会派としてこの問題は看過できないし法定協の出席も検討させて頂きたい。議論できないよこんなもの」と資料を空中に投げ上げるシーンもありました。

大阪市会のインターネット中継は http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu260/live/ 録画映像を見るというボタンから特別委員会と進み、最新のアップが6日の質疑の模様です。http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu260/live/special_committee.html

非常識では

この間の地下鉄民営化を巡る、市長と議会のやり取りで現象面だけが取り上げられ、あたかも値下げがいいことだ(安いものがいい)との一面だけを報じていた部分はないのかな。今日になって、180円に値下げしても1区間運賃だけで、他の区間は消費税増税とともに10円上がる。(朝日新聞)

民営化は公約だからという市長、民営化をすると市民にこれだけのプラスがある…その実例が200円の1区運賃を180円にすることなのか。違いますよね。大阪市民の巨額の税金をつぎ込んで出来上がった地下鉄網。この資産価値はこれだけ、民間が運営すると税金収入があがる…とか。

具体的な話はでていますかね。どこが購入するのかわかりませんが、市長が目指していたのは「完全民営化」。つまり公共が一切かかわらない形ということでしたが、それも議論になっているのでしょうか。確か副知事時代の猪瀬さんは都の地下鉄は51%の株式を公共がもつ方向を示唆されていた記憶が。

「地下鉄民営化」という言葉の響きが「郵政民営化」と同じように「いいものだ」という印象操作がされているのではないか。この間の190円、180円騒動。そして認められなければ再値上げという「脅し」に似た手法。非常識がまかり通るやり方に、メディアが慣れ過ぎたきらいはないのか。

なぜ、「非常識」という言葉を使うのか。民営化にしろ「身売り」にしろ資産「価値」こそ全てという、企業経営の視点からみると最高「価値」を高めておいて「高く」買ってもらうことが、面倒な企業経営を売り抜ける手法のはず。

180円か、190円かという話に決定的に抜けているのが経営視点ではないのかな。京福電鉄から呼ばれた交通局長もきっと面食らっているはず。累積赤字の解消とともに経営黒字体質になって、ぎりぎりの経営努力をしたら市長の意向をくんで190円にはできるとまで歩み寄ったのに。

大阪市議会で全会派(維新を含む)が賛成した地下鉄8号線延伸は「市民の代表」としての市民の足だからこその「熱望」であって、民営化後は採算性の面だけの検証になることは当然。しかも1区間利用者が3割とはいえ10円値下げ幅拡大は経営面ではマイナス要因。

値下げするために必要なシステム改修費、運賃表書き換え、民鉄との相互乗り入れも含め膨大な数、当然そちらも必要になる。その費用はいくらかかるのか。これも経営視点。それが180円から再値上げとなると二重の費用がかかること。

結論は「民営化が通らなければ再値上げ」という「脅し」が「非常識」であることをどうしてメディア指弾しない。普通に考えればわかることが橋下さんに逆らうとロクな事がない…とか、まぁいつもの打ち上げ花火だからと「分ったつもり」でスルーする怖さを指摘したくて長々書きました。

予定変更

淀川区長のことを書いて、次は当然セクハラ校長のことを書こうと思って書き始めたら、この記事がでたので予定を変更。 

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/131025/waf13102511430010-n1.htm 

ツイッターで「顛末書の報道でも呆れるしかなかった「校長」。当たり前の結論。900人を超える応募から選ばれた11人の1人。」と呟いて記事を紹介しました。

今朝の新聞によると、来春予定されている35人という公募校長の「数」にはこだわらないと大阪市教育長が語ったとか。当然でしょうね。

928人の応募者から選ばれた11人。そのうちの6人が何らかの問題を起こす、あるいは着任後わずかな期間で辞める。さて、当初35人の採用を目指した今年の応募者は142人。(6月28日読売新聞)最終面接に残っているのは71人だそうだ。(10月25日朝日新聞)

成果主義だとか、スピード重視だとか、決定の早さだとかをもてはやす傾向があるようですが、「公募」即ち「良い」ものだという思い込みに踊らされることのないように気をつけないとと感じますね。

ブログ「内田樹の研究室」で公募校長に関して書かれているのがこちら http://blog.tatsuru.com/2013/09/20_0937.php です。

劣化

政治の劣化、メディアの劣化が言われて久しい。メディアに居た人間でありながら、取材される側にたったことから余計にメディアの劣化に敏感になっているのかも知れない。市長在任中も含めてこの数年間、その思いは日々膨らむような残念な思いの積み重ねである

最近、政治向きのことを書いていないなぁと思いつつ、その理由を探すと「ばからしい」ほど単純な話を、さも「熟慮」しているかのように表現し、伝え、それでメディアの役割を果たしたとでも思っている向きが多いのではないかという気がするのでその1回目。

「日本を取り戻す」のは日本の良さ、この国の歴史、伝統、地理的特性などなどを長期的視野からとらえ、これから先の世代にどういう国として伝え、先人の知恵があったからこそ、この国があると思ってもらえるのかという状態に戻すことではないのか。

その1)
身近な例ではやはり大阪市。職員の中でも市長、副市長という特別職に次ぐ...
報酬を受けている「公募区長」の資質の問題。私は「アホか」発言や酔った上での発言時点で、なぜこんな人がと思ったが、今回の議長問責問題空転錯覚呟きでは、とうとう「公募」と「公選」の区別すらつかない人であることがわかった。噂によれば釈明の為呼び出された委員会に「(区の)腕章」をつけて入ろうとして議会の事務局から止められ、半ギレ状態でわめいた声が委員会室に届いたとか…。

もうおやめになったら…そんな思いと同時に私は淀川区民でなくて良かったという思い。役所生え抜きの職員がこんな区長になったらと思うとぞっとする。

いや、他にいい部分があるから…今回は大目に…そういうとりなしの意見があるのかどうかも知らない。「他にいい部分があったとしても、区長という重職には向かない」とはっきり判断して、他部署への転属を考えてはどうかと思っても、「公募区長」という資格審査に通っているので配置転換できないのかも。

普通に考えると「辞任して当然」という当たり前のことが、「熟慮」しなければならない世の中って何?

「いさぎよい」:思い切りがよい。未練がましくない。また、さっぱりとしていて小気味がよい。「―・く身を引く」「―・く戦う」。道に反するところがない。潔白である(デジタル大辞典)

さぁ、それに対して「任命責任者」はどう答えたか。「かくかくしかじか」と答えましたとしか伝えない報道って、伝声管でしかないというのは随分昔にブログに書いた。本来は権力と喧嘩してでも「筋」を通すのでは。大声で「ばかもの!」と叱りつけるようなメディアはなくなりましたね。

右もバッシング、左もバッシング、ならうちもバッシング。右は黙殺、左も黙殺……。
さぁ、2回目をかける気力が残っているかな。書く気になればアップしましょう。

8月31日から全国40のコミュニティFMで「たね蒔き」

明日に放送が迫ってきたので、お知らせです。

「ラジオフォーラムという番組をご存知ない方も多いでしょうね。「たね蒔きジャーナル」なら覚えておられる方も多いでしょう。存続運動カンパで集まったお金を資金に、新たなラジオジャーナリズムを展開したいという動きです。」

http://www.rafjp.org/ がHP。パーソナリティ今西憲之さんのゲストとして出演しました。放送は8月31日からで、中波で聞けるのは九州と沖縄。そして40を超えるコミュニティFMということです。放送局案内はhttp://www.rafjp.org/broadcast/ で確認を!

さて、ラジオフォーラムの肝心の中身ですが、タイトルは「平松さんはどう見てはんのん?大阪市政と大阪都構想」というもの。比較的自由に話をしましたが、はっきりしているのは大阪都構想で潰される大阪市民には何のメリットもないこと…言い続けてきたことを繰り返しました。

明日、放送開始です。
今西憲之さんは「原子力ムラの陰謀」を8月30日(今日ですね)発行。週刊朝日で大反響を呼んだ連載の加筆単行本化です。今、読んでます。

堺市長選挙、中央の視点とは。

今朝の呟きから、少し加筆してアップします。

堺市長選挙をめぐり、朝日が全国版の4面に「気が進まぬ堺の陣 市長選、自民推薦まだ 安倍政権、維新と決裂危惧」という記事。(無料会員登録でも見られるのか、いずれにしても会員登録をしてからクリックしないとちゃんと表示しないようです。すみません。http://digital.asahi.com/articles/TKY201308270668.html?ref=pcviewpage  中央版らしい「政局」睨みの記事だと感じるが、地方自治のリーダーを選ぶという視点が全くない。(それが全国版の4面ということか)

この記事で誘導されるのは、中央政局と地方自治の現場がリンクしているのが必然という「基本認識」から書かれている感覚。これでは「相乗り批判」を展開しようとしている維新の会に与することになる。直接行政は様々な利害関係を調整しながら進めるのが、手間はかかるが本当の姿。(当たり前の姿とも)

今回の選挙でも共産党が候補擁立を見送り、独自に現職を応援の姿勢。「真の保守」を目指す人に「共産党も応援してる」ということを材料に「引き剥がし」にくる動きが既に。「27日の記者会見で『(竹山氏は)共産党が推す候補者。それも含めて党本部で判断するだろう』」との官房長官談話がそれに力を貸していると感じる。

本来、市民が超党派の候補を選ぶことで、分権というのは進むと思う。格差が広がった社会の中でまるで地方を貢物のように「実験台」に使って本当に国がしなければならないこと先延ばしにする口実に使われるのではないか。

中央は大所高所しか見ないのならそれで結構。地方の意地を見せるためにも「相乗りでも何でも市民のために向く姿勢」を持った人を選んでこそ、自治が守れると思う。

記事の方から近づいてくるとき

23日にアップしたブログに書いた「教師」から受けた影響について、2010年、「現代ビジネス」に5回連続で取材を受けた2回目 の「2頁目」にも書いて貰っています。私の原体験といえるかもしれません。3年前の取材記事が、瞬時(ワンクリック)で呼び出せるという「技術の進歩」に感激しますよね。

何かテーマを決めると、それが連鎖反応的にソースの側から近づいてくるという経験って結構あるような…。結局、潜在的な自意識が「ほら、ここにもあるよ!」と訴えてくれているのかもしれません。そういう意味で、24日の朝日新聞の社説、「『教科書選び』 教委の介入はいらない」はその種類に入るかも。

何しろツイッターなどで大阪の教育の現場がどうなっているのか、ナマ情報を知りたいという呟きをしたり、たまたま出会った学校関係者から「悲鳴」とでもいう声を聞いたりしているので、教育委員会が不採択の指導をしたという部分が目に飛び込んできたのでしょう。

その中で、東京都教委、大阪府教委、神奈川県教委の3つの教委が問題にした個所は「国旗と国歌について『一部の自治体で公務員への強制の動きがある』と書いた一文だ。」という。これは「事実」に反するのか。当然、多くの方は事実だと判っているし、そのことを「なかった」ことにはできないでしょう。

また、この社説の最後は
「神奈川の教委は28校の校長に「採択の際に校名が明らかになると、さまざまな団体が来て混乱が起きる可能性がある」と伝えていた。強い不安を覚えた校長もいるだろう。
 教委が政治的な圧力を恐れて判断を左右することがあってはならない。「圧力次第で教育を振り回せる」という誤ったメッセージにもなりかねない。

 教育の中立を守りぬくという原則が問われている。 」
という言葉で締めくくられている。

もう一点ネットの利便性は22日の段階で産経新聞が「教育委員の懸念よりも学校の判断を優先 埼玉」という記事があることを知らせてくれる。http://sankei.jp.msn.com/region/news/130822/stm13082221580003-n1.htm

埼玉と東京、神奈川、大阪の違いはどこにあるのか。これで振り回されるのは誰なのか。教育は誰のためにあるのか。様々な疑問がわいてきました。

天外伺朗(てんげしろう)さんの「教育の完全自由化宣言!」を読んで

「教育の完全自由化宣言!」というセンセーショナルなタイトルがついたこの本は、2008年に第1刷が発行、そして今年の6月に第2刷が発行されました。

天外伺朗さんは「土井利忠」(本名)という元ソニーの上席常務であり、技術畑を歩んでこられた方ですが、下村博文現文部科学大臣の私的ブレーン集団「教育研究会」のメンバーを2010年まで務められたきっかけになったのが本書であることが「むすび」に書かれています。下村さんが去年の第二次安部内閣で文科大臣に就任されたのを契機に「日本の教育」を巡る環境について、ご自身の経験を踏まえ、本書が新たな使命を持つのではと再版されたのだと思います。

教育学を修めたことのない私ですが、現役市長時代から不思議と教育関係についてご縁を頂くことが多かったですね。自分自身が発達段階で素晴らしい先生に会えたことが、今の自分を作ってくれたという思いがあるからでしょうか。校園長への訓示などという「大層」なタイトルがついた場所でも、「ふとしたことから人生を変えるかもしれない」言葉の発信者としての「教師」の重要性を話したことを覚えています。

本書の中に様々な先達の名前が出てきますが、著者が要約したポイントがわかりやすく、しかもうなずける内容が列挙してありました。モンテッソーリ、シュタイナー、デューイ、ニイル、グリーンバーグなどの名前と、コーチングのガルウェイ、フロー理論のチクセントミハイなどなど。いかに天外さんがフロー状態に入って研究されていたのかが良くわかります。
 

2010年10月10日、出版社140Bから出した「おせっかい教育論」は、広く浅く、大阪という「土地柄」を芯に「本来の学校」「教育の姿」「街場の教育」について鷲田清一、内田樹、釈徹宗という三人の素晴らしい方と2夜のお話をまとめた本でした。

教育の目指すべき方向性というのは、特に発達途上にある子供たちにとっての環境整備。豊かな人生を歩むための基礎を、思いのままに前のめりに追求する時間と場所を保証するということでしょう。そんな思いで、「おせっかい教育論」で初めてお会いした内田先生に大阪市の特別顧問をお願いしたのです。その経緯についてはあとがきに記しました。

現在の日本の教育制度が様々な面で問題を抱えていることは多くの人が気付いているはずですが、それをコントロールする人たちが、まさにそんな教育制度のもとで、著者曰く「大脳新皮質シンドローム」にかかっている人たちだというのはブラックジョークにも聞こえると同時に、病巣の深さをも暗示しています。

この本が目指している教育のあり方を、今すぐに公教育の現場で実践できるものではありませんが、国の教育基本方針なるものの空疎な議論と予定調和の審議会答申などに振り回されず、本当に人間性豊かな市民を連綿と排出する為の学園が一校でも増えてくれたらいいのになぁと感じますし、市井の教育者(ばかりではなく企業人でも)の中に実践を積み重ねている方たちもおられます。

内田先生の特別顧問就任記者会見。私の横で「教育には行政とマーケットは介入すべきではない」と断言されたとき、「その通り」と思って内心、拍手を送ってました。多くの人が気付く教育現場の問題点、缶詰大量生産の子供を作りたいのか、点数至上主義のもたらすものなど、今後の公共政策ラボでも教育の本来の姿について、お話する機会があればと思わせてもらいました。

いやぁ、サボり期間が長すぎましたかね。堺市長選挙を前に再起動モードです。

なんと、今年の4月以来のブログとなりました。言い訳の材料は数多ありますが、ツイッター、フェイスブック、そしてブログとなると、やや足が遠のいてしまっていました。

9月に行われる堺市長選挙結果如何で「大阪都構想」の息の根を止めるか、地方自治を上から目線の集団の意のままに、実験台として、本来は壊すべき官僚体制の前に「貢物」として差し出すことになるのか。

いよいよ大阪府民、堺市民の決断の時といってもいいと思います。維新の会は十年一日のごとく、代表様ご一行が仰々しく堺入りをし、これも十年一日のごとき選挙演説をすることでしょう。

過去の彼らの選挙演説を並べ、固有名詞、地名を変えればすぐに何処でも使えるように「ひな形」になりつつあり、ちょっと目先を変えて変わったことを言おうとすると、世界中から顰蹙を買う体たらくに、以前は支持していた人たちも遠のきつつあるのは確かです。

しかし、マスメディアへの露出がいやでも増える状況を作るのが得意な彼らであり、まるで維新の宣伝番組かという「情報番組」やキャスターの存在も依然残っており、その人たちの「活躍」が誤った判断を刷り込んでいく日々が続くと、気付いた人たちが「無力感」にさいなまれ、結局投票行動に結びつくのは強固な基盤を持った組織票と、判断基準を誤らせる情報に晒された人たちだけにならないように、願うばかりです。

こういった予告は今週になって、ツイッター、フェイスブックで書きました。ご覧になっておられない方のために一部貼り付けます。

「さて、堺市長選挙が9月の15日告示、29日投開票ですね。この選挙は報道によると、またまた府知事、大阪市長、維新の国会議員、府市の議員総出で「堺取り」に全力を上げるようですね。いつも維新の批判ばかりしていると維新ファンからはツッコミが入りますが、今後のツイートで更に加速するかも。

お盆明けに「堺市長選挙の持つ意味」、「真の民主主義とは」、「市民が守るべき自治の姿」などタイトルは色々考えてますが、堺市や秋に予定されている神戸市長選を巡るあの方たちの動きなども見据えて、呟いたり、ブログを作成したりしようと考えてます。堺市民、神戸市民の皆さん、よろしく」

以上が導入部分でした。



本のタイトルが決まったぁ!

4月28日放送予定の「たかじんのそこまで言って委員会」にゲストMCで出てきました。http://www.with-ppl.jp/ppl/news/440/ どんな編集になっているやら、私もわからないままの収録でした。まぁたかじんさんと私との関係なども、一昨年の大阪市長選挙で橋下さんを応援したたかじんさんですから、いろいろとわだかまりがあるのではないか。また、この番組自体がかなり「言いたい放題」で司会とはいえ出演するのはまずいのではないかとか、いろい...ろご心配をおかけしましたが、収録自体は極めて「大人」の雰囲気でしたのでご安心のほどを。

さて、番組中に宣伝させてもらいましたが、シンポジウム「ポストグローバル社会と日本の未来」4回の集大成である「本」が6月発売予定で最終準備に入っています。小田嶋隆さんにつけてもらったタイトルは【「脱グローバル論」~日本の未来の作り方~】 に決定!

内田樹、平川克美両氏が60歳台、小田嶋さんが50歳台、中島岳志さんが30歳台、そしてイケダハヤト、高木新平両氏が20歳台という幅広い論客とコーディネーターが64歳の私。去年7月に東京で始めたシンポが、その後東京、大阪、神戸(凱風館)と続き、計4回。その集大成です。

競争社会?グローバリズム?ヒトはカネのためだけに生きるワケではない。追い立てられるからこそ立ち止まって考える”脱力市民生活”のヒント…などなど、小田嶋さんが4回のシンポを総合して表現するのにふさわしい惹句を考えてくれました。

そして「おじさんと若者が、ゆるゆると日本の未来を話し合ってみました」という「脱グローバル論」~日本の未来のつくりかた~。装丁も価格も発売日も決まっていませんが、6月には講談社から発売予定です。詳細が決まればまたお知らせします。

地熱は日本を救うか?

市長選後にブログを移設して、気がつけば10万ページビューを頂きました。市長時代から別のサイトで書いていたものはカウントされていませんが、多くの方に見て頂いてありがとうございます。

さて、先日ツイッターとフェイスブックで書いた「地熱発電」に関するものをここにもアップしておきます。今後様々な場面で登場するであろう地熱発電関連。「原発再稼働」という大声の号令の陰にこの事実が横たわっているということを多くの人に知ってもらいたい。そういう思いです。では。

「真山仁さんの初めての「新書」。「地熱が日本を救う」(角川oneテーマ21)読了。
http://www.kadokawa.co.jp/sp/201303-02/
3月10日に初版がでた本書には、私が知らなかった日本の地熱発電の現状がデータとともに読みやすく整理されている。「脱原発」しか言わないのでは、従来の「ムラ」の強圧の前に粉砕される。

「地熱が日本を救う」には、そうした議論だけではない、日本の地熱を巡る現状が網羅されている。原発再稼働だけを目指すかのような動きの裏側に、地道な、しかし、原発に代わるベース電源として火山列島日本が一番取り組まねばならない「地熱発電」の現状を示してくれている。

私は真山さんの「マグマ」、「ベイジン」など一連の著作を読み、周到な取材と、恐ろしいまでの先見性を小説という形で世に問う人だという感想をもっている。そういう意味では本当に「地熱が日本を救う」が示しているような、国を挙げての取り組みが前面に出てきて欲しいものだ。

この「新書」に書かれた余り報道されていない「前向き」の動き(研究開発予算、超党派議員連盟、産業界の動きなど)が、日本の今後のベース電源を「原発以外」に求める方向に大きくシフトするダイナミックな展開になることを期待したい。」


以上ですが、これをアップした途端にある方からこの記事の紹介が http://www.news1st.jp/index.php?s=28&item=2803 
着実に進んでいる部分が表に出てこないのは、何が何でも「原発再稼働」という流れを前面に出したいからなのか。産業界の要請でとか色々言われるけれど、地熱発電での日本の技術力は世界トップクラスなのに…。

TPP亡国論の中野剛志さん、野田政権時代の警告

フェイスブックには今朝からアップして、多くの方が拡散して下さっているユーチューブです。今の再生回数は6万2000余り。マスメディアの到達率からいうと「微々たる」ものになります。日本のSNSやインターネットは、この夏の参院選で性格が大きく変わろうとしています。そんな時にこの映像がもっと拡散して欲しいという思いを込めてブログにもアップします。

39分ほどありますし、ネット環境によっては見辛いかも知れませんが、じっくりメモを取りながら、久しぶりに学生感覚でご覧(ネット大学のつもりで…)になっても良し、リンク先をキープしておけばいつでも見直し可能。ホントに便利になりました。

まず、10万再生を目指し、どこかで爆発的に広がってくれないかなという思いです。こういう側面が去年から指摘されてたのだという認識も大事だと思います。では、FBのコメント貼り付けます。

「TPP交渉参加へ」という大きな流れが全てのマスメディアの推し進める方向なら、京大准教授時代に中野剛志さんがユーチューブで流されたこの映像はどの程度広げられるのか。

「米韓FTAよりひどいTPP交渉となるだろう」http://www.youtube.com/watch?v=3kQEWuQttfg&sns=tw 

39分ちょっとですが、私はツイッターで知り、「お気に入り」に入れていました。何回目かの視聴ですが、何度見ても「なんでTPPなんかに入るんや!」という思いが募ります。

野田前政権がこの方向に大きく舵を切った瞬間に「国民の暮らしが第一」という4年近く前のスローガンが雲散霧消したと感じたのですが、今回多くの自民党に投票した人は「裏切られた」とは思わないのでしょうか?

ユーチューブでこの映像を見ると、その右側にも様々なビデオのリンクがあります。以上、今日のご紹介でした。



TPPって本当に日本のためになるの?

13日の朝刊見出しに大きく「TPP交渉参加へ」という文字が躍り、気分が悪くなりました。多くの人がその実態を知らされないまま、あるいはわざと見ないようにして進められようとしていることや、選挙前の自民党の方向がこんなに早く路線変更になるのかという思いです。

TPPに関しては単に農業問題だけでなく、保険、医療など様々な問題が指摘されているのはSNSを情報収集に使っておられる方なら当たり前。(大きな意見広告もでていましたね)

「戦後史の正体」で孫崎享さんが指摘されているように、対米追随外交の歴史が日本をここまで「属国、属領」的な形に落とし込めているという指摘をどう受け止めるのでしょうか。

東京新聞がすっぱ抜いたように、見えない情報、いや意図的に見せない情報の存在が明らかになっているのに、政治家も、大手メディアも、経済界も「見えないことにしていきましょう」という前時代的な国民懐柔(誘導)策がいつまで通用すると思っているのでしょうか。

自民党は、「日本国憲法」をアメリカから押し付けられた憲法であり、「自主憲法」制定を党是としていた筈。なのに、国民の暮らしを支えているはずのわが国の健康保険制度、ただでさえ確かでない食糧自給、そんなこの国の現状を、より、アメリカ主導型の見せかけの貿易自由協定に踏み込もうというのか。

ケンブリッジ大学のハジュン・チャン教授の著書「世界経済を破綻させる23の嘘」(徳間書店:田村源二訳)にも、「自由市場」という幻想は強者の言い分で、過去に真に自由な市場は存在していないという指摘もありますし、グローバル経済が栄えることで多くの人たちにトリクルダウン効果があるというのも具体例はないと論破しています。

ハジュン・チャン氏がテレビ出演している「デモクラシーナウ」という番組とその対訳のページを見つけました。ハジュン・チャン教授ならではの明快な分析と、グローバル経済が今後直面する課税の問題も指摘されています。

http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65783675.html
いろいろとCMなどまでがリンクされてしまうようですが、お許しを。

大阪市は「無くなる」んですよ!

ツイッターとフェイスブックで繋がっている方とのやり取りで、相変わらず「都」になっても大阪市がなくなるわけではないと思っておられる方が結構いらっしゃるのではないか。ツイッターで単に誹謗中傷の為アカウントをとって群がってくる輩とは違い、きちんとお話できる人ですらそうであることに気づきました。

その方にあてて先ほどツイッターで呟きましたが、あぁ大阪市だけのことだと思っておられる方にも、そうではないことを伝えたいと思い書きます。7月の参院選、兵庫知事選、その後の堺市長選、神戸市長選などなど、政治日程は連続していますが、日本の「地方自治の危機」であるという認識を広げてもらえませんでしょうか。

大阪市を分割して小さな自治体にし、目の届く行政をする…一見聞こえのいい「うたい文句」ではありますが、現実をみると、この方たちは効率化、民営化、自己責任論を標榜している人たちです。そして他人に厳しく、自らに属しているものには甘くという姿もこの間多々目にしてきました。

「大阪都」になると「大阪市」が潰される、それは今の税収とはまったく違う構造になることを意味します。結果として住民サービスだけではなくて、都市インフラとしての機能の責任範囲をめぐっても信じられないくらいの議論が必要であり、そこに貴重な労力を削がれるのは間違いありませんし、それによって現れる都市の姿は日本の中枢都市として引っ張ってきた「大阪市」の姿ではありません。

是非、そういう認識をきちんと持っていただきたい。その上で「特別区」という名の自治体になるかどうかの判断をして頂きたいと思います。

前置きが長くなりました。今朝のツイート(再構成部分あり)です。

「市会だよりの3月号が全戸配布されてるはずです。大阪市がなくならないというご認識が間違いという1月28日の委員会質疑の内容が bit.ly/ZnhPXw にあります。

1月28日財政総務委員会のまとめですが、4問目の質疑で橋下市長が「大阪市を40~ 50万人程度の基礎自治体にしておくことが必要であります」とあります。これでも過去の合区と同じと考えられますか。

「大阪市会だより」を引用したのは、相変わらず幻想のみを振りまき続け、「都」になればすべてよくなるというその「都」自体が、いまだに大阪市民の間でも「合区」と同じ認識でしか捉えられていないことに警鐘を鳴らしたかったからです。潰すという「現実を知られたくない」という意識を感じます。

大阪市会では各委員会のインターネット中継も録画のアップもあります。今日引用した市会だよりの当該部分は bit.ly/13E5lQW の自民党柳本市議の質問部分です。

知らせたくないことをひた隠しにして、仮装の利益のみを振りまき続ける、それが目に付きやすいからマスメディアが踊らされる…いや、メディア自身の中に巣食っている病巣が、むしろその方向を推進する側になる。病巣が自らのうちにあることを気づきもしないメディア… 」

以上がツイッターの内容です。これは昨日アップしたTPP問題を巡る報道のあり方や、情報の流れ方の問題と同列視できると思います。現在はSNSを通じ、さまざまな情報が瞬時に全世界を駆け巡ります。ならばこそ、マスメディアの役割というのが重要であるという思いを持っているのですが、それに気づくメディアの住人が少ないのが現実だし、特に影響力の強いテレビの世界がこの国を土台から揺さぶっていいのかという問いかけでもあります。

「凱風館」での寺子屋ゼミ

2月26日に内田樹さんの凱風館で寺子屋ゼミに参加。

私の公共政策ラボ( http://www.with-ppl.jp/ppl/ )が去年7月から始めた「ポストグローバル社会と日本の未来」というシンポジウムの一応の区切りとして寺子屋ゼミ生を前に、内田樹、中島岳志との鼎談をしたものです。

「いま、日本、なぜ」という大きなくくりのシンポジウムを東京で2回、大阪で1回開催し、その流れを踏まえてこれからの日本がどうあるべきか、どう進むのかを「拙速」ではなく、地に足をつけて探りたいという試みです。

それが公共政策ラボの目指す方向性なのですが、去年7月以降の大きな流れ、特に政権交代をもたらした昨年末の衆院選以降の流れをなど、この半年余りの間に大きく変わったように見えるものの、格差拡大、雇用の不安定、少子高齢化などの流れが変わったわけではありません。

シンポジウムに参加していただいたパネリストは敬称略で1回目が内田樹、小田嶋隆、平川克美、中島岳志。2回目が内田樹、イケダハヤト、小田嶋隆、高木新平。3回目が第1回と同じメンバーでした。

いずれもコーディネーターは私が担当し、その流れを受けた第4回を「寺子屋ゼミ」と合流して開催したものです。この一連のシンポジウムで提示した内容を、第1回、第2回の会場を提供してくれた「講談社」から夏までには出版すべく準備に入ってもらっています。

2月26日の冒頭では、中島さんの日米首脳会談を受けたTPP問題から話が始まり、丁度朝日新聞紙面批評欄に掲載された内田さんの「まったなし主義を疑え」という言葉を引きながら、ダイナミックに話が展開しました。

また、内田さんは「いのちとくらし」は短いスパンでは語れないナマモノであり、視野の長さが全く違う価値観で性急に結論を急ごうとする現在の流れに警告。

「凱風館」という道場兼パブリックな空間で、さらに「学びたい」という人たちが集う寺子屋ゼミ生の前で、ある種の「波」を感じながら話を進めさせてもらいました。

タイトルも何も決まっていませんが、編集者と話した際に「タイトルは小田嶋隆さんに考えてもらおうか」とつい口走ってしまいました。小田嶋さんオファーがいくと思いますが、よろしく!詳細が決まればフェイスブックやツイッターでまたご報告します。

ある方のフェイスブックでの感想から

ある方から私の投稿へのご意見を頂戴し、その中に「橋下さん」と「離反」したことについての記述がありました。大阪市民は是々非々で協力できなかったのかと思っているという記述(原文ママではありません)があり、それにきちんと反応したくて長文のメッセージをその方宛という形で書きました。

折角ですから、ここに「投稿」としてコピーします。今、活動をしている公共政策ラボ http://www.with-ppl.jp/ppl/about/ の方向性も書かせてもらいました。
また、「橋下批判」かと取られる向きもあるかも知れませんが、今の活動の「原点」にも当たります。私のブログや、月刊文芸春秋への寄稿などでも書いていますが、改めて読んで頂ければ幸いです。

では。

「いつも、いっていることですが、彼(橋下氏)が水道協議の2年の積み重ねを、何ら連絡することすらせずに、単に「他の市町村が納得しない」といって、努力を怠ったことから、一旦は合意していたコンセッション方式が反古にされました。

たかじんさんの「あかるクラブ」での対談でそのあたりもハッキリ指摘したのですが、マスコミには殆ど取り上げられませんでしたね。是々非々協力…当然でしょう。
ところが、その態度から一番離れているのが橋下さんですし、「裏切り」を平気でできる人だから信頼できないだけのことです。

多くの支持者がいることすら不思議ですし、○○さんのいわれる「世界の速い流れ」に取り残されるのは市民、国民ですか?そういう意味でも、私はTPP慎重論者(むしろ反対)ですし、原発依存社会を抜け出すのも福島の現実を見れば「国民を思う」政治家であれば当然です。

一方で、新自由主義経済から恩恵を受けるであろう(これもいつ瓦解するかわからないほど不安定です)方たちが、格差社会の定着を願う気持ちも許されるのがある意味「民主主義」なのでしょう。

私は大阪市長をやらせて頂くまでは、弱い人の立場に立つというスタンスはあっても、ここまでの意見を持っていませんでした。しかし、4年の任期を終え、現在一市民として公共の役割を考えると「小さい政府」はある程度仕方がないにしても「小さすぎる」政府では格差が拡大し、社会不安に結びつきかねません。

小さい政府でも大きな社会で支える、そうした中間支援組織として住民、市民恊働を捉えています。公共政策ラボでは震災、津波、原発事故を経験したこの国ならではの展開を、力のある都市は都市としてできることを国に提案し、住民とともにこの国を作り直す動きに繋げたいと思っています。まぁ、本当に微力ですが…。」

以上です。

豊かさとは…暉峻淑子さんとお会いして


2月8日の「ラジオの街で逢いましょう」にご出演いただいた暉峻淑子(てるおかいつこ)さん。僅か1時間半ほどの時間に、暉峻先生の歩んでこられた道をお話しいただくということは無理だと分かっていました。

でも、初めてお会いした私にも関わらず、バブルがはじける前に書かれた「豊かさとは何か」以来、近著「社会人の生き方」に至る3冊で、常に金銭至上主義の流れに抗してこられた暉峻さんならではのお話が伺えたと思う。

折角頂いた命だから、その時間を有意義に過ごすために「社会」がどうあるべきか、「社会」にどう関わるのかを考えて行動するのが人間社会の「社会人」。

普通に「社会人」とは仕事についたら社会人、選挙権ができたら社会人…と狭い範囲に思いがちだが、「社会人の生き方」では、この感覚を広く寛く捉えてこそ社会人だと書かれる。

「社会は、歴史が積み重ねてきた、国境を越える知恵と経験の宝庫である。そこから何かを得、またそこに何かを付け加えることなくして、何の生きる意味があるというのだろう。社会に支えられると同時に、社会をより良く変えていく社会人の生き方の中に、未来への希望を見出したい。」(岩波新書「社会人の生き方」まえがきページⅳ)

私たちに植え付けられた「既成概念」の衣を脱ぎ捨てるにはかなりの時間と努力が必要だとは分かっていても、一歩ずつ歩みを進めなければ、この日本はどうなるのだろう。高度経済成長のまっただ中を団塊の世代として過ごした私にとっても、考えさせられることの多い、貴重な時間を過ごさせてもらったと感じた。

ラジオデイズでは「ラジ街」をツイッターで実況中継している。今朝、昨日の分の中継部分をtogetterでまとめてみた。 http://togetter.com/li/452756 お話の流れが一目瞭然。ライブで視聴された方にはお分かりいただけると思うが、来週金曜日に「ラジオデイズ」のコンテンツとしてアップされた時の参考にもなると感じる。

「サンタクロースってほんとにいるの?」という絵本の作者(文)でもある暉峻さんの真ん前で大胆にも「朗読」をさせて貰った。久しぶりに楽しんだ。

そして、最後にユーゴからの招待で阪神淡路大震災で被災した小学校2年生から大学生まで24人を連れてベオグラードに行かれた話になった。(岩波新書「豊かさの条件」p.158 被災地に届いた招待状)

番組の最後に当該書p.160-162の一部をハプニングで朗読させてもらった。ホームステイ先から白血病の子ども病院を訪ねた話である。病院を去る際に、訪問した子どもたちから起きた「ふるさと」の合唱の話である。初めて読んだ時に手が止まり、目がかすんだ部分をご紹介して番組を終えた。

暉峻先生、ありがとうございました。

ヒートアップ気味ですが…

マスメディアがいつまでも人気者だから追いかけねばと思っていたら、いつの間にか「単なる興味本位」で「また、アホなこというねやろ」という興味でしか見る人はいなくなる。

そんな次元に既に到達してしまった感がある「ある人」について、「みんな気がついている」という思いは、単に弱者(現在は)のマスターベーションに過ぎない。

向こうは力づくで、民主主義の時間がかかるあらゆることに、嵩にかかって攻め込んできている。

あなたは弱者、もしくはこの国をより多くの人が幸せを感じながら生きられる国にしたいと考えている人ですか。そうでなければ、強者の論理を展開されればいいし、もし、そうなら気付いた人の輪を広げないと、この夏の参議院選挙ではもっと勢力が増えてしまう。

別の首長選挙でも軒並み「維新優勢」だそうな。では、大阪維新が過半数を制し、中央からの指示で維新にすり寄った公明党と共に一昨年4月の統一地方選挙以降、大阪府のどこが良くなったのか。スピード感溢れる「大阪維新」ならとっくに成果は出ている筈。

「壊し屋」としての面目躍如なのはこの間の大阪市政・府政をみれば明らか。でも、壊すほど簡単なことはない。あらゆる利害関係者と透明性を保った上で調整するという気の長い仕事をするからこそ、専門的知識と、法律/条例に依拠し、利益至上主義でない市民に向けた行政ができる。

気付いた人たちの連帯の輪を広げたい。この限られたSNSの世界だけではなく、実際に生活している空間で、この認識を多くの人と共有し、その数が過半数を超えた瞬間に、あの勢力はいくらマスコミがもてはやそうと、もはや砂上の楼閣に過ぎず、少し押し寄せるだけの波にも飲まれてしまうほどの寄せ集めにしか過ぎない。

フェイスブックで「友達」増えることから…

「友達」急増について。
イベント案内がしょっちゅうくるようになりましたね。そして、オフ会でお会いした方との安心感というのは格別です。思想、信条は違っても、会話が成り立つという部分で、繋がりを感じられる。

とことん話し合えばどこかに着地点を見つけられる…行政というのはとことんの話し合いを、どれだけ透明性を確保しながらやり遂げるかであって、押さえつけ、脅し、逆らえば仕事まで奪うというスタイルは、行政が逆に指導しなければならないスタイル。

大阪維新の会には、教育基本条例といい、職員の政治活動規制条例にしろ、自分たちが如何に強大な権力を保持しているかを見せつけるパフォーマンスしか感じない。

人間としての繋がり方も、利益至上主義、金の切れ目は縁の切れ目的な浅さを感じるから、信用できないし、未来を任せる気なんか起きない。

そんな気持ちでいる人が増えないと、ますます「維新」という名の権力志向、国民無視、財界優先の時代がくることは明らかなのに。

もちろん、自己利益、自己責任、自分だけが安全な世界であればいいというかたは、「維新支持」も許されるのが民主主義である。そして、そんな人たちと真逆の価値観を訴える自由も保証されるのが民主主義。

書棚から呼びかけられて

今朝の呟き(ツイート)に少し手を入れて構成しました。

書棚を眺めていて、なんの気無しに手に取った本が、まさに今の状況を指し示している内容であったりした時の嬉しさは格別。以前に読んでいた記憶がどこかで繋がっているのかな。そんな一冊、鷲田清一著「死なないでいる理由」角川ソフィア文庫。

「死なないでいる理由」のあとがきには文庫化される6年前に同じタイトルで単行本を出された鷲田さんが、胸のつかえを感じたまま角川からの文庫化にあたり全面的に「新しい本」として出されたこと、また、「死なないでいる理由」を終生の主題と思い定めていいのだろうと書かれている。

2008年に出されたこの本が、本棚から「もういっぺん目を通して」と呼びかけたのだろうか。プロローグに続く第一章、「寂しい時代」の第3項で「うつろいゆく成熟のイメージー教育という装置」には「おとな」と「こども」の境目など、今、さらに混沌の度合いが増している状況を鋭く描かれる。

引用です。「これ以上向こうに行くと危ないという感覚、あるいはものごとの軽重の判別、これらをわきまえてはじめて「一人前」である。ひとはもっと「おとな」に憧れるべきである。そのなかでしか、もう一つの大事なもの、「未熟」は護れない。
「死なないでいる理由」(現代おとな考:角川ソフィア文庫p.72)

哲学者鷲田清一先生が阪大総長時代、「ナカノシマ大学」のキックオフイベント「街場の教育論」でご一緒した。それがきっかけになって「おせっかい教育論」(出版140B)の出版に繋がった。市長時代に得られた多くの人たちとの繋がりが最大、最高の「役得」であると、この頃しみじみ思う。

哲学者の書く本は難しいやろな…そんな先入観は専門にされている方以外には共通だと思う。でも、ワッシー(失礼)に紡ぎ出される言葉には「ひとの体温」を感じられ、思わず小膝を叩くことも多々。

火山列島日本の地熱発電とは…明日の「ラジ街」

明日11日は今年初の上京。ラジオデイズの「ラジオの街で逢いましょう」出演です。午後7時からユーストリーム中継があります。 http://www.ustream.tv/channel/radiodays-jp … お客様は、作家の真山仁さん。2004年に出版された「ハゲタカ」で鮮烈な印象を受けたのを覚えています。

真山仁さんは同志社大学出身。去年の校友会大阪支部のゲストとして講演していただきました。「ハゲタカ」以降、そのシリーズや2006年に出た「マグマ」では日本の地熱発電について、08年「ベイジン」、10年「プライド」、11年「コラプティオ」と問題作を次々と世に送り出しておられます。

一昨年3月11日に起きた東日本大震災と原発事故を受けて、この国の電力を何に求めるのか…。2006年に真山さんが出された「マグマ」には、米国からの圧力で原発を全て閉鎖する方向性が示されたことをきっかけとして物語が始まりますが、いつもながらの緻密な取材ぶりに感心。

「ラジ街」では、その真山さんに主に「地熱発電」 の現状や問題点を聞きたいと思っています。小説を出された時は福島の原発事故が起きる5年も前です。あの事故を受けて国はどう動こうとしているのか。具体的な代替エネルギーとして地熱発電の可能性はどうなのか。

真山さんには伺いたいことが山ほどありますので、明日の夜が楽しみです。ラジオデイズの「ラジオの街で逢いましょう」 午後7時から是非ご視聴ください。

新年のツイッターから 久々にじっくりテレビを見ました

最近、殆どテレビを見なくなっていたのですが、唯一レギュラーで録画予約をしているのがTBS制作の「サンデーモーニング」です。年末スペシャルと題した3時間25分の長尺を、正月番組に触手が動かないので先ほどまで視聴。その感想をツイッターに呟きました。

「年末に撮った録画、「サンデーモーニング年末SP」を見終わりました。私が唯一録画予約しているレギュラー番組なのですが、3.25hの後半、SP部分が素晴らしい。農業、ものづくり、教育、商店街再生、女性が興した町工場、元気になった高齢者などなど全て前向きの取り組み。

すでに報道されてたり、記事になっていたりする部分もありますが、年末30日に3時間25分の特集で浮かび上がるのは、「まだまだ捨てたもんじゃない」日本の姿と、若い人たちの可能性…。こうした情報はSNSとメディアの力を総合的に発揮させることで、本当の力を見せてくれるでしょう。

何ができるのか、何に取りかかろうか。政治がここまで劣化したけれども、地政学的にみると「辺境」である日本が、その歴史上果たしてきたイノベーションの数々は辺境ならではのもの。そうした日本独自の未来像を結ぶヒントが詰まっていた番組だと感じました。

「サンデーモーニング年末SP」にありがとう…と言いたい気持ちで呟きました。可能ならブロックごとの特集や応援企画などを続けてもらいたいなぁ。」

以上です。