2009年12月27日(日) ヒカルネ無事終了


12月1日から始まった「光のルネサンス」ですが、12日からのメインパフォーマンスも25日の午後10時に無事終了しました。昨日報道発表させていただきましたが、期間中の入場者が去年を大幅に上回り304万人ということになりました。ご来場ありがとうございました。

これは橋下知事肝入りの御堂筋イルミネーション(ミドイル)との相乗効果も大いにあったと思いますが、前回のブログでも書かせていただいたように、単なる光のイベントだけではない「お祭り感」を総合的に出せたからだと思います。市内企業やボランティアの皆さんの協力も本当にありがたく、来年を心待ちにする(気が早い)人たちもきっと大勢おられると思います。

世相の暗さ、先行きの不透明さをせめてクリスマスに向けて気分だけでも「ルネサンス」をと、今年は「水都大阪2009」でご披露した新中之島公園をやわらかな光、意外性のある光、あたたかな光、笑顔がこぼれる光でおもてなしをさせていただきました。

大阪のあたたかさを十分に感じていただけたのではないかと思います。大阪市長として御堂筋イルミネーション(ミドイル)と共に全国、いや世界からお越しいただいても胸を張れるイベントをさせていただいたと感じます。

中之島という素晴らしい財産を有効に使わせていただいて、心があたたかくなるようなイベントを今後も続けていきたいですし、それがなんらかの「活力」を生むと信じています。

2009年12月21日(月) ヒカルネ・ミドイル(?)へは是非公共交通機関で


すごいことになっています。週末の夕方は御堂筋近辺に車で来られるのを控えてください。お願いします。

光のルネサンス(以下ヒカルネ)、御堂筋イルミネーション(ミドイル:勝手に略しています)ともに大好評で嬉しい限りですが、土曜、日曜の梅田新道から御堂筋は、午後5時まえにはもう動きが取れない状況です。このライトアップイベントは、落ち込んだ大阪のイメージを橋下知事登場以来の悲願としての「御堂筋のライトアップ」が実現したことに加え、大阪市と経済界が実行委員会方式で以前から続けてきた「光のルネサンス」を府のライトアップに負けじとパワーアップしたことで本当に盛り上がっています。

たかじんさん肝いりの「OSAKAあかるクラブ」に協賛していただき、市役所前に2基のツリーを設置。多くの方たちが記念撮影のスポットにしていただいています。300人の老若男女によるサンタの衣装でのパレード(サンタ・ラン)も加わり、大いに盛り上がりましたが、交通渋滞が想像をはるかに超えています。

不要不急の車の乗り入れを是非控えてください。

「ヒカルネ」は科学館の北側、鳥取市協賛の砂像「都会に舞い降りた天使Ⅱ」のウェストライトパークも素晴らしい出来栄えですし、水都でおなじみなった中之島公園では様々な趣向を凝らしたライトアップやフードテントでの体の芯から温まる飲み物、料理の数々と家族連れで楽しんでいただけます。中央公会堂前の通りと広場はフランスムード満点。市役所南側の土佐堀川沿いでは土曜の朝はマルシェ、夜には地酒やなにわの伝統野菜を取り入れたメニューもあるレストランテントなど、夜が更けるのを忘れるくらいです。

1.2キロの「ミドイル」はゆっくりと歩きながら、協賛いただいた御堂筋に面した企業のライトアップとともに楽しんでいただきたいです。急に寒くなったにもかかわらず、遅くまで賑わっており、週末のしかも冬の夜には人通りが殆どなかった中之島公園や御堂筋一帯に、多くの方たちが訪れて下さっている光景は、うれしいの一語です。

だからこそ、ゆっくりとその雰囲気を味わっていただきたいと思います。イベントによっては入場制限があるためご不便をおかけしていることをお詫びしますが、お待ちいただく導線も工夫をこらしました。水都大阪2009で好評だった市役所ロビーの「おもてなしカフェ」も大好評。ロビーコンサートがある日も是非オフィシャルサイトでチェックしてください。

その他にも町の中に、ライトアップをそのビルの個性を活かした形で展開されているのも魅力です。町の活気をどう演出するか。毎年その意味合いを増してきているようです。そして今年からは府・市協調のシンボルとして、今後ますますこのライトアップイベントを全国的にも発信したいですね。

ヒカルネは12月25日まで、ミドイルは1月末まで実施されます。

2009年11月28日(土) セレッソ大阪・ホーム最終戦


今日はセレッソ大阪の長居スタジアム今年最後のホームゲームです。

市長になって初めて試合開始から最後まで観戦できそうで、楽しみにしています。セレッソ大阪は長居スタジアムがホームですが、来シーズンからはスタジアムの横にある球技場を改修し、2万500人収容のサッカーファンにはたまらない迫力満点のスタンドとの距離感が実現します。

確かに4万人収容の現在のスタジアムもいいのですが、トラックがあるので最前列でも選手の息遣いなど細かな迫力に欠けるのはいたし方ありません。来年4月から工事にかかり6月末には完成予定で、芝のつき具合などから試合に使えるのは8月ごろになりそうとのこと。

長居スタジアムの距離感とは全く違う凄い迫力になりそうで、J1復帰にふさわしい熱戦を期待できそうです。長居球技場の供用開始時にスケジュールが合えば是非大阪市民チームのセレッソを応援に行きたいなと思っています。

プロスポーツといえば野球しか思い浮かばなかった昔と違い、様々な競技がプロ化していく中で、青少年の健全育成や健康増進、さらに「夢」事業としてのプロのスポーツチームに行政が期待するところも大きくなってきています。

チーム側も地域社会への貢献を大きなテーマに掲げられ、毎年市民対象の様々なイベントや行事を実施していただいており、こうした動きに是非大阪市としても積極的に関与したいと思っています。

今年の7月5日に長居スタジアムで行われたベガルタ仙台の試合前、30秒スピーチをさせてもらいました。遠く仙台から応援にこられたベガルタファンに「今日は勝たせてもらう」とアオッてしまい、スタンドの大半を占めるセレッソファンからは大声援、ベガルタファンからはブーイングの嵐となったのも楽しかった思い出です。

今日もご挨拶させていただくなら何を言おうかな…30秒を超えて叱られそうだなと今から心配していますが、J1復帰なったシーズンのホーム最終戦ですから、少々のことは許していただけるでしょうか。

17時試合開始が楽しみです。

2009年11月23日(月) 今年の「ヒカルネ」は見逃せない


またまたご無沙汰してしまいました。

11月に入って、極端にバタバタしていたわけでもなく(ずっとバタバタしていますので)、どうもブログに書くには内容が極秘事項であったり、その対極にある「どうでもいい」話題であったりと軸が定まらなかったというのが元気メッセージの更新をサボってしまった理由です。

まぁ、言い訳はいいか…。

そして、このタイトル「ヒカルネ」が分かる人は市役所通っつうか、なんでも略しちゃえ症候群に浸かっている人でしょう。そう「光のルネサンス」でござんす。(少し軽すぎる…か)

一昨年の12月19日に初登庁したころは、すでに第5回の「ヒカルネ」が実施されていた(ハズ)のですが、市役所の細かい業務の詰め込みや、また素人市長としての猛特訓やら20年度予算のヒアリングやらで、市役所5階の会議室に缶詰状態で、本庁南側の多くの人の賑わいからの雑踏の雰囲気が会議室にかすかに流れてきていたのを思い出します。

ですから、「ヒカルネ」がどういった内容だったのかを19年当時は殆ど知る由もなかったといえます。しかし、20年の12月には実際に色々なイベントや、今年夏から秋にかけての「水都大阪2009」に向けてのプレイベントなどで、橋下知事とご一緒に駆け回ることができたことでこのイベントの素晴らしさ、楽しさを知ることができました。

「ヒカルネ’08」を経験して、一方で何か足りないのではと感じていました。そして市会の委員会である自民党の委員から「公式グッズなど、記念になるものや一息つける仕掛けが欲しい」という意見が出て、全く同じ思いだったことに気づきました。

そこから、担当局に指示してオフィシャルグッズの製作コンペであるとか、去年まで着実に人気を集めてきたイベントでであるものの、そこからひと皮むけた今までとは違う「お祭り」感を出したいと思ってました。橋下知事の「御堂筋ライトアップ」に負けじと様々な知恵を絞ったさまは
http://www.hikari-renaissance.com/mt/index.html
でごらんいただけます。「ヒカルネ」は12月25日に終わりますが、御堂筋ライトアップは年明けまで続きますので、大阪市内は光の洪水エリアと化します。

私は時期的には来年度予算のヒアリング等で、ひょっとしたら賑わいの「音」しか楽しめないかもしれませんが、皆様には「水都大阪2009」で実感していただいた中之島公園の素晴らしさをまた感じていただけると思いますし、4丁目では去年に続き鳥取市にご協力いただいた「砂像」も「ウェストライトパーク」の呼び物になること間違いなしです。

たかじんさんの呼びかけによる「OSAKAあかるクラブ」の寄付による市役所前の2基のライトアップツリーに加え、正面玄関全体を光のデコレーションで飾るなど、きっと楽しんでいただけると確信しています。是非見にきてくださいね。

2009年11月 1日(日) WTCを見上げながら


26日の府議会開会が遅れに遅れ、27日の午後にようやく議決されました。府庁舎の移転条例が否決されたのは残念ですが、買い取りのための補正予算案が可決されたことは、WTCがある咲洲やコンテナの荷役作業が本格的に始まった夢洲の今後にとっても非常にありがたいことです。

「府市協調」という路線について、橋下知事誕生までは二重行政の無駄を省けという世論に対し、どちらかというと行政特有の「アリバイ作り」と取られても仕方がないスローテンポの交渉を前知事・市長の間で回を重ねていたように映ります。

「府市合わせ」という語呂合わせが堂々とまかり通っていたわけです。そんな状況は細かな点での前進はあったものの、府民、市民には見えにくい「交渉」状況であっただろうと思います。市長になって府との交渉のレクチャーを受けて、「あぁ、そんなこと知らんかったなぁ」と何度も思いました。

しかし、橋下知事誕生後の市との協調路線はまず水道協議で徹底してメディアオープンのなかで進めることから、多くの府民、市民に様々な形でメディアを通してその意義が伝えられました。そして市民の皆さまに分かっていただきたいという思いから、市ではインターネットで「水道統合」について私が直接語りかける形での情報発信や、市政だよりを通じての発信を行ってきました。

そうした動きの中で、去年8月から紆余曲折があったこの間の府庁移転論議です。今回も徹底した情報公開を府市共に心がけ、また今までには考えられなかった府市双方の職員による「都市構想」へと進み、春の否決後も更生管財人の意向を受け、最大限努力させてもらいました。

移転案は×買い取り〇という判断について、報道によるインタビューなどでは「分かりにくい」という指摘が多くあるようです。そんな疑問や懸念を晴らすためには、府の買い取りは良かったと思っていただける結論を導くのが政治家としての使命であると考えます。これは私だけでなく、知事も全く同じ思いだと確信します。

毎日、WTCを見上げながら、このビルに府の職員が通う姿や、ATCに通う市の職員の姿を思い浮かべています。人の流れは確実に増えますが、それが公務員だけでは本当の街作りといえないことは重々承知しています。

府市連携しながら、また知事と協調しながらダイナミックにこのエリアの活性化を目指したいと思います。まぁ知事は一気に大きな打ち上げが得意であり、またそれが成果をもたらしている部分もありますが、私はそんな知事の発想の中から地道に、しかし確実に歩を進める策を実行していきたいと気持ちを引き締めています。

でも、動くときはあらゆる可能性を目指して行きますので是非応援してください。

2009年10月24日(土) 認識の乖離のなかで 2

昨日、「言いたいことを全て言って、それをメディアに全て伝えてもらおうと思うのは大間違い」と書きました。このあたりのことに今日は少し触れてみます。

市長就任以来、記者会見や予算発表、政策推進ビジョン発表などあらゆる局面で自分なりに「この情報の出し方でわかりやすいのだろうか」と自問しながら臨んできました。情報の出し方という点で長年現場にいた感覚で現場に対し勝手に指示を出しています。

大阪市は情報の出し方が下手でした。(今でもそういった面はあるかも)これは「大大阪」がそんな些細なことを大仰に言うことはない…とでも言いたげな鷹揚さが残っていたのかもしれません。
一方、メディアは限られた紙面、時間の中で「何が言いたいのか」「何が新しいのか」「何が変わったのか」など独自の判断で情報を切り取ります。そして次の段階でデスクの判断が加わり、時にはこちらが思っていたことと正反対のことを伝えられ慌てることもあります。

ある意味、それがメディアの独自性であり、存在証明なのでしょう。

ところが切り取られた情報にしか接することができない状況では、この加工情報を信じざるを得ないという現象が普通に存在します。

その加工情報が本来意図する方向と反対になったときに、周辺にどういった作用を及ぼすか、などといったことをメディアは考える必要はありません。ですから、どうしても読者、視聴者を惹きつけやすい見出しやタイトルをつける傾向がときどき見られます。また、自らの思い込みや作り込みにあてはめるだけの取材といった形で表れることもあり、取材協力をした職員が「2度と協力しない」という悪循環におちいることもあります。

WTCへの府庁舎移転を巡っての21日の府議会本会議場での「認識」情報交換は本当に府市協調で何かが変わるのではないかという期待を府民に持っていただきたい。その代表の府議会議員の皆さんに分かってもらいたいという思いで臨みました。

「平松の(大阪市の)本気度が見えない」とだけおっしゃっていた方もいらっしゃる府議会で、訴えたかったことの真意は、ここまで進んだ情報公開の中で「騙す」だとか「裏切る」などということは不可能に近いし、生でのやりとりという基本的な情報に直に触れることにより、加工情報だけでは得られない判断基準を持っていただきたいという思いでした。

2009年10月23日(金) 認識の乖離のなかで 1


WTCへの府庁舎移転に関する採決の日が刻々と近づいてきています。やはり、落ち着きません。橋下知事からは昨日の午前中にお電話をいただきました。府議会本会議場での所信説明に対するお礼の電話でした。

この間、府と市の担当職員は本当に連絡を密に取り合い、「府市合わせ」だと揶揄されたひと昔前(直近でもあったのかも…)とは隔世の感があるそうです。

そうしたことを身近にいる職員から聞くにつけ、情報の伝わり方の難しさを実感します。昨日のブログにも書きましたが、府議会での知事、議員とのやりとりを私は主にダイジェストで見る方が多く、これは逆に大阪市会での私と市会議員のやりとりを府の関係者もダイジェストで見たり、聞いたりされるのだろうということです。

情報の奔流の中で全てに目を通したりするのはとても無理な相談ですが、新聞やテレビ、ラジオなどで伝えられる情報が記者のフィルターを通した加工情報であるという部分を往々にして忘れる傾向があります。

市長という職務をさせていただいてなければ、情報の読み取り方というか「メディア・リテラシー」を研究したいと思っていたものの、いざ一方の責任ある発信者になると、なかなかそこまで思いを致す余裕がありません。

多くの府議会議員の皆さまとは初対面という状況でした。先方とて同じだと思います。人間の触れ合いというのは、加工情報に多く接していればいるほど、そこから得られている認識情報と自分の目で見、耳で聞くという原情報に接した時にその違いに驚くことが多々あります。

言いたいことを全て言って、それをメディアに全て伝えてもらおうと思うのは大間違いで、如何にメディアが伝えやすい形で情報を発信するのかという部分を抜きには「真意」が伝わらないし、その努力は必要です。

市長になって、様々な記者会見、インタビュー、ぶら下がり取材、囲み取材を受けた経験から、少しずつ学び始めています。取材する側だけにいたのではわからなかった情報の伝わり方が実感できています。

府議会本会議場での同じ空気を共有するという時間が、何かを生み出してくれればいいと思っています。今後の大阪・関西の元気を取り戻すためにも「疑心暗鬼」状態ではない、「なんや、同じ方向を考えてんねや」という安心感から始まる何かを探ります。

2009年10月22日(木) 長い一日が明けました


昨日は朝早く、府庁近くにある市公館で所信説明と答弁のチェックを済ませて、9時半に府庁へ。多くの記者、カメラが待ち構える中、橋下知事のお出迎えを受け、知事室に入りました。
その後の状況は新聞、テレビが報じてくれた通りです。

正規の議事録には残らないとはいえ「歴史的」な府庁乗り込み(船乗り込みではありません)に際し、府議会議員の皆さまには「大阪市長」を迎えるにあたって随分と気を遣っていただきました。答弁の有無についても、いろいろと意見があったようですが、せっかくの機会に「言いっぱなし」・「聞き置くだけ」というのもどうかということから、所信骨子、質問骨子、答弁骨子、再質問骨子といった「骨子」の事前やりとりをしました。

そして、府議会議員4会派の皆さまがお聞きになりたいこと、確認されたいこと、そうしたことにまずきちんとお答えするという点を重視し、推敲を重ねたものです。

そうしたことからか、アドリブ答弁の少なさに疑問を呈する意見もあったようですが、日頃の橋下知事誕生以降の府バトルモード満載の映像をご覧になっていることからくる「もの足りなさ」という面もあるのかなとは思います。

日頃、私が大阪市のスタンスとして(本気度?の発露として)言い続けているものの、メディアの目を通した(編集された)情報を主にご覧になっている府議会の皆さま(これは市民も同じ次元になります)にとっては、お聞きになりたいことに誠意をもって答えるという当然のことを実現・実感できた機会でもあったと思います。その席で、WTCへの府庁舎移転がなった後の街づくりに責任をもつのは当然だと言わせてもらいました。

26日の採決でどうなるかは府議会議員の皆さまにかかっています。
大阪府、大阪市が力を合わせれば関西の活性化に向けて必ずや大きな前進となるという信念を橋下知事と共有して府庁移転にゴーサインを出していただきたいと切にお願いする気持ちです。
なお大阪市のホームページのこの所信説明の原稿を掲載しております。ご一読いただければ幸いです。
http://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/page/0000055735.html

2009年10月20日(火) いよいよ明日です


明日、平成21年10月21日は大阪府と大阪市にとって記念すべき日となります。WTCへの府庁舎移転問題で、府議会本会議場での意見交換会が午前10時から開かれるのです。

府議会の本会議場に大阪市長が立つというのは「前代未聞」のことらしいです。(少なくとも戦後初らしい)そうした機会を与えてくださった府議会の4会派の皆さん、橋下知事に心から感謝の意を表します。

緊張するでしょうね。

今からドキドキ、ワクワクしています。

還暦過ぎのオッサンがの言葉ではないかもしれませんが、本当にワクワクしています。今、まさに新たな府市連携の扉を開こうとしています。午前10時から本会議場で所信説明をさせて頂き、その後、4会派からの総合質問をお受けするという流れになるそうです。

今夜は興奮して眠れないかもしれません。

市長になって2年足らず。橋下知事はまだ1年と8カ月余り。経費削減、無駄を省くという大きな流れの中で、広く問題になったのが「二重行政」という言葉です。(国を入れれば三重行政という面もあり)すでに数年前から問題視されていたことですが、果敢に挑戦しようという知事のメッセージに応える形で現場を鼓舞し、その成果が見られそうな水道協議をはじめとして、今後も様々な視点からの取り組みを「地域主権」を目指すという観点で発信したいものです。

大阪府と大阪市は仲が悪くて当たり前。その方が東京一極集中を高めていく上で好都合…。そんな固定観念が通用しなくなるようなダイナミックな動きをしたいですね。

2009年9月30日(水) 問われる「本気度」の意味 2


今日は府議会定例会本会議で自民党の代表質問がありました。その中で府庁のWTC移転案を巡り、府議会での大阪市長説明を議長を通じて要請するようにという要望も出されたようです。
「本気度」を感じていただく絶好のチャンスだと捉え、大阪市会の日程は最優先ですのでそれ以外のところで何とかスケジュールが合えばと思っています。

橋下知事と同じく湾岸エリアの造成時の経緯や「府市合わせ」といわれた反目の歴史を体感していないからこそできる発想で、この間管財人の意向を受けた形ではありますが、大阪市長として府に対してお願いしています。府議会の議員の皆さんには是非既成概念にとらわれず、関西の活性化につながる歴史的な選択をしていただきたいものです。

大阪府、大阪市ともに巨額の赤字にあえぎ、懸命に立て直しをはかる努力を続けているものの、追い打ちをかけるようにリーマンショックによる世界同時不況の波が襲ってきて、ほとんど「機能不全」に陥りそうな状況の中、中期見通しも極端に悪い予測しか出せない時期の大胆な提案です。

関西の「反転攻勢」の核の一つとなるべく、ベイエリアから関西の活性化に向けた大胆な動きをするその中心に府庁に来ていただきたいと率直に思っています。「府が市の失敗の尻拭いをするのか」という感覚ではなく、府市協調のシンボルとしてベイエリアを経済界とともに活性化したいという願いをご理解いただき、共に前進していただきたいのです。

大阪駅北地区(通称北ヤード)のまちづくりはナレッジキャピタルに「知の集積」とアジア地域のあらゆる情報の磁場を形成し、ベイエリアにはそうした先端技術を具現化する産業をさまざまなインセンティブを駆使して誘致する。また南、東アジアとの交流、交易拠点としての大きな可能性をもった夢を託せる地域だと「本気」で信じています。

2009年9月29日(火) 問われる「本気度」の意味 1


WTCの府庁移転をめぐり、さんざんメディアに登場している「本気度」についてひと言。

3月の府議会で否決されたWTCへの府庁移転案でしたが、否決理由について聞かれた記者会見で橋下知事が「大阪市の本気度が足りなかった」という発言をされたという記事を見たときに悲しくなると同時に「責任転嫁」という言葉で応えたことを思い出します。

「本気度」って何でしょうか。このごろあまりに多くの場面で使われすぎてませんか。たまたまウェブで「本気度」を検索すると、石原東京都知事がオリンピック招致に本気度をアピールとか、6月の記事ですが名古屋の河村市長が「天守閣を木造へ建て替え」発言で「本気度100%」とか出てきます。

でも、どことなく安易に「本気度」を使ってませんか。これは測れるものなのでしょうか。

今回、大阪府議会で上程されたWTCの府庁移転案ですが、これに先立ち府、市、経済界で「夢洲、咲洲地区まちづくり推進協議会」を開催させていただき、その席でたたき台として出させていただいた大阪市の案についても一部には「本気度が足りない」といわれているそうです。
ベイエリアの開発を振り返っても、大阪市の縦割り構造、責任は取らないで知らん振りを決め込んでもそのままになってしまう土壌などとんでもない負の遺産があります。

よく引き合いに出される「ふれあい港館」(ワインミュージアム)の無駄遣いぶりは見事なものです。一度中を視察(現在閉鎖中)したことがありますが「バブルの踊り方」というサブタイトルをつけたくなるほど、「本気度一杯」の作り方です。誰も使わなくなったパリそのもののレストランとか、年代もののワインを入れるための地下室など、「誰が作ったんや」と思わず怒鳴りました。

府、市、経済界が協調してあらゆる知恵を出し合い、ベイエリアの中心に府庁に来ていただきたいという思いは、この地区を開発した当時の記憶などがないからこそ橋下知事も私も関西浮上のキーになるという客観的な見方で臨んでいるのですが・・・。

2009年9月24日(木) シルバーWが明けました


5連休の疲れはありませんか?

私は1日だけゆっくりさせてもらいました。
「ゆっくり」といっても、気になることやけじめをつけたいことは山積しており、公式スケジュールが入っていないという意味だけのものです。これは市長である限り逃れられないものでしょうね。

今日も午後から東京へ向かいます。補正予算執行について政府へ「市民に一番近いところの基礎自治体への影響を最小限に」との要望を伝えるためです。

政権交代から1週間が過ぎ、この間鳩山内閣は私たちがこれまで経験してきた交代劇とは全く違う印象を国民に強く映しているように思います。この流れを旧来型の中央集権、一極集中に戻さないためにも、基礎自治体が主体的に「何ができるのか」「何をしなければならないのか」という視点での考えや、そのためには「何が必要なのか」をきちんと分析し、中央官僚が現場とはかけ離れた「統治」の感覚で推し進めてきた体制に終止符を打つ努力をしなければなりません。

その努力は大阪市など行政執行機関、また二元代表制に於ける議会のあり方、そして市民(国民)全体に求められるもので、ありとあらゆるものを再検討するチャンスであり、それがこれからの日本をどうするのかという大きな方向性へつながるものだと思います。

そんな建設的な議論があちこちで行われる場を作り出していきたいですね。

2009年9月20日(日) 連休真っ只中…水都


52日間のイベントも、はや折り返し点を過ぎてこのシルバーウィークで多くの来場者(参加者)があると思います。水の都大阪のこれからを感じていただくとともに、以前の汚れたイメージを抱いておられる方にとって、まさにリニューアルされた水辺に驚いてもらえると思います。

ワークショップで時間を忘れて熱中している子供やその保護者の方たちを見ていると、都会のど真ん中のイベントのありようというか、それこそ多様性を発揮できる場所の提供というのが公ができる範囲かなと感じてしまいます。

市民協働の大きなうねりにつなげていきたいという思いと、大阪以外から訪れられた方たちに対する「水都」メッセージの発信など、まさに「一過性のイベント」にはしないという決意から昨日の市民企画の挨拶の際に、「来年はどういう形で市民協働の水都イベントを展開するか」というまだ実行委員会でも出ていない(ひそかに考えている人はおそらく多いでしょうが)ことを口走ってしまいました。

それほど様々な魅力を自分で発見する楽しさを感じさせてくれます。主だった会場内にはボランティアが数多く案内係として配置されています。水都スタッフTシャツを着て、薄いブルーの帽子をかぶっているのが「大阪市」の職員ボランティア、濃い紺の帽子が「大阪府」の職員です。気軽に声をかけてください。

2009年9月15日(火) あぁ時間が…


またまたひと月近く空いてしまいました。すみません。
このところスケジュール目白押しです。なかなか休みがとれません。そんな言い訳をしなければならないほど間隔が開きすぎ…。反省です。

政権交代という大きな歴史の節目に大阪市長という大きな職務に就いていることを正直「ありがたい」と思います。重圧と感じることよりも、やりがいを感じることの方が多くなりました。1年9カ月近くが経ちましたが、日々そう感じることの方が多いのに驚きます。

去年11月8日に発症した「突発性難聴」は全く改善の兆しはなく、耳鳴りに悩んでいますが、それ以外は気力充実しています。

今日15日は市会の開会中ですが、朝8時からWTCで橋下知事、関経連、大商、同友会のそれぞれのトップの方と第1回の「夢洲・咲洲地区まちづくり協議会」を開きます。府庁移転をお願いするに当たり、関西経済界も一緒になってこの地区の未来像を具体的に考える会にしたいとお願いし、実現したものです。

それぞれにタイトなスケジュールの皆さんに集まっていただくには午前8時からの朝食つき会合という形になってしまいました。咲洲は未明から降った雨が今は小やみになっています。

大阪市単独、それも縦割り行政の責任所在が明らかにならない形での行政主導で行われた開発が頓挫し、「負の遺産」といわれる地域です。ところが、市長になって何度かこの地域を訪れましたが、橋下知事同様可能性を秘めたベイエリアの現状を放置しておくことはないと思い、「咲洲開発プロジェクトチーム」を立ち上げ、今までのテクノポート構想の旗を降ろし、なんとかエリアの持つ可能性を花開かせる方法はないかと思っていました。

そうした可能性をあらゆる角度から具体的に知恵を出し合ってもらいたいという会になればと期待が膨らみます。

2009年8月20日(木) 久しぶりのブログ…

前回が祇園祭の巡行報告でしたから…うわーひと月以上も夏休み状態でした。すみません。私事ですが、実は7月下旬に引越しをするという「大イベント」があったもので、PCの設定は変わるは、この際だからと新しい「高機能PC」に機種変更したものの、新しすぎてついていけない状況でした。
 
この間、橋下知事にWTCのヘリポート上で「府庁移転」を突然お願いしたり、市公館で府市トップの「公開議論」(これについてはどう表現すればいいのかわからない性格の話し合いですが、一応「公開議論」としておきます)に臨んだり、書くべきことは山ほどあったのですが、つい引越し騒動にかまけて失礼しました。

夏休みをいただいてリフレッシュすると同時に新PCにも馴染んできましたので、また折に触れて書き込んでいきます。(平松事務所の高本所長から「サボってる」と叱られました)

私の夏休み中にいよいよ選挙戦に突入しました。どの政党を応援するというのではなく、疲弊しきった中央集権制度をこの辺で見直しながら、大阪市のような大都市の持ち味をどう生かして地方分権を実現するのかというのが、今後の日本を力強く再生するために必要なことだという気持ちでこの選挙を見守りたいと思っています。

そして明日は「水都大阪2009」の前夜祭があり、22日には関西4政令市の市長が揃っての開会宣言という予定になっています。祇園祭、神戸まつりに参加させてもらい、今度は大阪の番。新しい「水の都」に向けてのキックオフです。皆さんも期間中ぜひ大阪に来ていただいて変わりつつある大阪を肌で感じてください。

2009年7月18日(土) 祇園祭-山鉾巡行-都市間連携


新型インフルエンザが神戸から発症例が見つかり、兵庫、大阪と拡がったことで観光をはじめ大きな損害がでていますが、その後発症例が全国的に拡がり、数も増えているにもかかわらず、街中にマスクがあふれる姿はなくなりました。従来型だと姿を潜める夏にもかかわらず感染例は確実に増えており、外出から帰った後のうがい、手洗いの励行をお願いします。

関西が大きな風評被害を受けたことで、少し前の定例記者会見の際に「せっかく神戸、京都、堺という政令市が固まっているエリアであり、それぞれの元気発信に役立つなら、祭に相互乗り入れという形で協力関係も含め発信したい」というような発言をしたところ、京都市から祇園祭山鉾巡行へ招待を受けました。

大学は同志社でしたので宵山や巡行も見たことはありましたが、初めて巡行の順番を確認する「くじ改め」の本部で門川市長、山田知事の後ろから見せていただくという貴重な経験をさせてもらうことができました。

祭自体は歴史の長さとともに公家・貴族のものであった発祥当時から、様々な変遷を経て現在のような形になったようですが、多くの町衆が「疫病退散」という思いをこめて鉾、山を曳く行事としての側面と、京都という歴史・文化溢れる町並みを悠然と進む姿は多くの観光客を満足させるすばらしいものです。

今「地方分権・地域主権」ということが大きな声で言われていますが、都市連携ということで近畿独特の京阪神に加え堺市が政令市であるというこの歴史豊かな土地からこそ地域主権のモデルが生まれると確信しています。

何かしら「権力争い」「議席争い」的な捉え方をされているようなこの間の「地域主権」問題ですが、道州制にしろ地方分権にしろ根本は「住みよい国」を作るにはという原点のはず。それがいわゆる「政争の具」にされようとしているのではという危うさを感じます。

大阪市は旧五大市の時代から、政令市の中でも飛びぬけた地域経済活動に支えられて発展をしてきた都市ではありますが、中央集権、東京一極集中が進むあまり置き去りにされながらも、地政学的、歴史的な中枢性からいわば「のほほん」と「市域」を守ることにだけ集中してきたのではないかという気もするんです。

インフルエンザで神戸祭が明日に日程変更になりましたが、近畿の政令市で共通ブースを出したり、矢田市長のお招きで4市長がそろうことになりそうです。地域のことは一番住民に近い基礎自治体が中心になるという「ニア・イズ・ベター」の精神で関西から「大都市圏州」の実態を模索する動きをはじめられればと思います。

8月22日「水都大阪2009」の開幕初日にも他の3市長にお声掛けしますので、今までにはなかった都市間連携の具体的な動きを始められそうです。

2009年7月12日(日) 祭りの季節


いよいよ区民祭りの季節がやってきました。私にとって「市民協働」という方向性が間違っていないということを大きく印象付けてくれた各区の祭りの始まりです。11日(土)の夜から始まり、今朝の区民パレードから一気に盛り上がる「住之江まつり」が21年度の区民祭りの皮切りです。

去年は秘書方が日程のやりくりを苦労してくれて、24区全てに顔を出すことができました。(最高は1日5区掛け持ちでした)各区のコミュニティ協会が主催団体となり実行委員会を組織してもらっていますが、主役はなんと言っても「市民」。

「区民祭り」(区によって名称は違いますが)では、あらゆる年齢層に楽しんでもらうと同時に、この機会に市政の方向性もきちんとアピールしたいという思いもあります。そして一年目市長だった去年は、私にとって「市民協働」の主役の皆さんと直にいろいろとお話ができる最大のチャンスでした。

そうしたふれあいを通じ「大阪好っきやねん」という多くの皆さんから教えられた気持ちが、自分の政策に形作られていく感覚は、どう表現していいのか分からないのですが・・・・・・そうですね、「ワクワクする感覚」とでもいいましょうか。何しろ多くの市民の皆さんの気持ちを一つにできるものから手をつけようという方向性につながりました。

「街頭犯罪ワースト1返上」、「違法駐輪ワースト1返上」、「ゴミ減量問題」などに積極的に取り組む決意と自信をもらったのがこうしたふれあいからでした。

大阪は大都市であり、それゆえの問題も多く抱えていますが、一方で歴史と文化あふれる「街力」は経済面などから「地盤沈下」が叫ばれて久しいとはいえ、まだまだ健在だと感じさせてくれますし、各区が趣向を凝らして地域のコミュニティを大事にし、そこから生まれてくる連帯感があらゆる面で有機的に発展するよう、区役所の役目は大きなものがあると感じます。

日程上、各区の祭りに短い時間しか顔を出すことができないかもしれませんが、今年も24区全てに参加したいと思っています。(秘書がやりくりに頭を悩ませています)

2009年7月 8日(水) 水都大阪2009への想い


中之島に市役所本庁がありますが、その東にひろがる「中之島公園」の整備工事が最終段階に入っています。この工事は平成19年度から今年度完成を目指して進めていたものです。その公園が「水都大阪2009」の開幕日、8月22日にオープンするため、現在急ピッチで作業が進められています。

今年はバラ園を部分的に開放しましたが、その際には以前のバラ園をご存知の方は、「部分」なるがゆえの寂しさを感じられたと思います。もちろん、新しいコンセプトのバラ園自体は非常に楽しいもので、「親水」公園として土佐堀川に向かって少し傾斜を持たせ、川からも楽しんでもらえるようになっています。

中之島公園の最東部を剣の先に似た形から「剣先」と呼んでいますが、新淀川の毛馬閘門から大川に流れ込んだ水が堂島川と土佐堀川という二つの川に分かれる地点「剣先」に「大噴水」を設置、30分に一度、5分間天高く水を噴き上ます。その実験も6月末以来何度か行っていますので、たまたまご覧になった方もあると思います。

この噴水、「大川」から取水するのですが、きれいになったとはいえまだまだ「泳げる」ところまで水質浄化できていませんので、風向きによって噴水からの水が飛び散ったらどうなるんだろうと心配してましたら、流石大阪市(??)、大川の水をいったん汲み上げて浄化し、それを噴水に使うのでもし風が強くて飛散した水にかかっても心配ないということでした。

また、そのために噴水にインターバルが必要だということでした。公園の全体像などは大阪市のゆとりとみどり振興局のHPに具体的な計画が載っていますが、その再整備コンセプトを見ているだけで、早く完成後の公園を実感したいという思いが高まってきます。

その公園をメイン舞台として市内のあちこちで様々なイベントも繰り広げられますが、「水都大阪2009」は大都市の真ん中にある水辺の憩いをどう演出し、それを大事に守っていきながら、さらに「親水空間」としての魅力を増すために努力を続けるという決意表明でもあります。
是非水都大阪のHPも見てくださいね。
http://www.suito-osaka2009.jp/

2009年7月 4日(土) たかじんさん・とおるちゃん・・・?


先日(6月30日)、新聞やテレビで「OSAKAあかるクラブ」というやしきたかじんさんが呼びかけた「クラブ活動」が始まったというニュースをごらんになった方もあると思います。

アナウンサー時代にたかじんさんがパーソナリティのラジオの番組で、いつもニュース担当でスタジオでご一緒させてもらった関係から、市長になってからもテレビ番組に呼んでもらい自分の思うところをお話させてもらいました。

橋下知事と一緒にたかじんさんの番組に出たときのこと、知事が「御堂筋をライトアップしましょうよ。バァーッと、ねぇ市長」といわれたのに対して、イチョウの管理を国から託されている市長として「いいですね」と答え、「えっ!ホントですか?」と知事の問いかけに「はい!・・・・・・但し府の予算でね」と返事したことが今日の府の御堂筋ライトアップにつながっています。

大阪市としては中之島を中心にした「光のルネサンス」事業を展開しており、この上御堂筋もというと財政難の折からとても持たないと感じたから、咄嗟に「府の予算・・・」という反応になりました。
たかじんさんが「自分の知り合いが同時期に大阪で市長、知事になることなんて100回生まれ変わってもありえない」と知事と私に「大阪を明るくする事業を勝手に立ち上げるから、府や市で法律上問題点がないかどうかチェックしてほしい」という話が盛り上がった結果、「クラブ活動」につながったものです。

当面Tシャツの売り上げ(利益分)をそれぞれのライトアップ事業に寄付という活動になるようですが、「集まれぇー!」という強い指揮系統を持っているたかじんさんのこと、今後様々な局面でいろいろな仕掛けが飛び出してくるかもしれません。楽しみに待っています。

2009年6月25日(木) 知事「政党支持」発言について


今日(25日)市の事前調査(委員会)が終わってから、市政記者クラブに出かけました。定例会見とは違い、市政記者の方たちと色々話をしたいなと思ったときにはぶらっと顔を出すようにしています。本来なら木曜日には定例会見があるのですが、今週は事前調査開催中ということでスキップしており、紙面を賑わしている知事の「政党支持」発言について取材依頼もあったことから、記者クラブで話をしようと思い出かけたものです。

知事の政治資金パーティにお邪魔したときに、乾杯の発声を依頼され、そのスタンバイで舞台袖にいたときに、東国原知事、中田横浜市長もおられる中、「市長、地方分権のために政党支持をはっきり打ち出しましょうよ」といわれたのが最初でした。

その後橋下知事の発言はどんどん大きくなり、そうしたグループ結成まで動きが加速したという報道の反面、今日夕刊の中田市長発言に見られるように「特定の政党支持に向けた動きではなく、政策提言グループを作るという行動に同意した」という冷静な判断が出てきています。

知事のパーティの際に具体的にどう返事をしたかは忘れましたが、東国原知事に「橋下知事が走り過ぎないようにお願いしますよ」と話したことは覚えていますし、お断りしたという認識です。「この指に止まらない人は敵だ」的な二者択一思考で一元的に判断できるほど地域主権、地方分権論議が深まっているとは思えないことや、大都市のあり方を具体的に言及している方が皆無といっていい状態の中で、基礎自治体の長として行動はできないと思うからです。

今日の記者クラブではこうしたことを話すと同時に、大阪市の今年の国家予算要求で最重点項目である「生活保護の国庫全額負担」という項目をきちんと謳っていただければ、当然その政党を支持したいと思うでしょうとも話しました。

生活保護制度を、本当の意味でナショナルミニマムであり、最後のセーフティネットとして国の責任において整備しないことには、勤労や雇用、教育、生き方など全てにわたってきちんとした価値観を再構築することはできないだろうと思っています。各政党がきちんとこの点を謳っていただければ確実に変わるのですが・・・。

2009年6月19日(金) 生活保護国庫負担について


前回、この問題について「全力で発信したい」と書きました。実は市役所職員向けLANに「市長雑感」というコラムがあり、その時々に感じたことを発信しています。そこに13日の土曜日に参加した東京市政調査会主催の生活保護シンポジウムでの感想を載せました。
前回の内容よりも分かりやすいと思いますので、このページにも転載します。是非お読みください。

『私は就任以来、生活保護費が大阪市の厳しい財政をさらに圧迫している現状をことあるごとに各方面に訴え、その改善を求めてきました。

 ご存じのとおり、大阪市の生活保護費は、2400億円を超え、一般会計の15%を占めるなど、大きな負担となっています。さらに、昨今の経済危機に伴い、大阪市内の申請件数は対前年度比190%と大きく伸びています。

 一方で、大阪市の生活保護に対しては、「審査が甘いのではないか?」「不正受給を見過ごしているのでは?」といった見方が依然として残っており、シンポジウムでもコーディネーターの偏見を伴った発言が続きました。

 私は、市の審査が厳格に行われていること、また、保護開始後におかしいと思ったとしても調査権がないこと、そして、最前線の区役所職員が、国の基準を上回る多数の被保護者を受け持ちながら、弱い立場の人のためきっちりと対応していることなど、声を嗄らして反論しました。さらには、憲法第25条の生存権の保障に由来するものである限り、国民の最低限度の保障「ナショナルミニマム」として、本来、国の責任で実施されるべきであると主張しました。

 この点、シンポジウムに同席されていた地方財政制度審議会の木村陽子先生にも、大阪市の考え方についてご理解をいただいており、今後とも密に連絡を取らせていただきたいとお願いしてきました。

 来年度の国の施策・予算に関する大阪市としての提案、いわゆる「国家予算要望」に臨み、大阪市が最重点項目の筆頭に挙げたのも、生活保護制度の抜本改革です。

 私は、自治体の負担がこのまま続くのであれば市の財政は破綻してしまうということ、また、単に費用の問題だけでなく、そもそも、生活保護に至るまでに、雇用保険をはじめとする他のセーフティネットが機能するシステムの構築、さらに、基礎年金との逆転現象によるモラルハザードの解消など、制度疲労を起こしている社会保障全体についての改革を早急に実現するよう、大阪から声をあげ続けていきます。』

以上の内容です。これまで「市長雑感」に書いたことでも皆さんに読んでいただきたいと思うものがあれば適宜転載させていただきます。

2009年6月18日(木) 民主党シンポ~生活保護は全額国庫で

17日に開かれた民主党大阪府連主催のシンポジウムに参加しました。橋下知事が民主党主催の会に参加するというので、間近に迫った衆院選での支持などをめぐり、いろいろと憶測が乱れ飛んでいるせいか、多くのメディア、聴衆の参加で熱気あふれるものでした。

大阪市の今年の国家予算要望での最重要課題は生活保護費の国庫全額負担をお願いするというものです。その視点からは「今こそ、地方の時代“大阪からの発信”」と題されたシンポジウムではっきり「国庫全額負担」が宣言されたことは大きいことだと思います。

昭和25年法律の施行から殆ど変化がないまま放置されている生活保護の問題について、大阪市はこれまでも度々制度改正や抜本的見直しについてお願いしてきましたが、国は「大阪市の認定が甘い」だとか「濫給」という言葉で問題の本質をすりかえてきました。

それが去年のリーマンショック以降、全国各地で派遣切りだとか非正規雇用の雇い止めといった状況から、生活保護申請が殺到し、大阪市だけが云々といった国の「言い逃れ」は意味をなさなくなってきました。そんな中、大阪市が抱える負担は一般会計の15%を生活保護費に充当せざるを得ないという莫大なものになっています。

生活保護が憲法25条で補償された生存権に基く規定というのはご存知のとおりです。しかし「権利」に対して「義務」があるのも当然のこと。国民の義務規定として教育(26条2項)、勤労(27条1項)、納税(30条)を3大義務としています。義務を果たしたくても果たせない状況に置かれた人をどう救うのか、またその環境をどう整えるのかという大きな問題を解決するための国の存在を見逃している「効率至上主義」の過ちを見直す好機と捉え、全力で発信していきたいと思います。

2009年6月14日(日) 明日から消費拡大キャンペーン!!


定額給付金を何とか市内の消費拡大に繋げたいという思いで、商店街と小売市場に協力をお願いして「消費拡大キャンペーン」を明日から始めます。

http://www.osaka-wakuwaku.com/

このキャンペーンのキックオフイベントが今日のお昼、旭区の千林商店街、今市商店街が交差する近くの「千林くらしエール館」横で行われました。日曜日の午後ということで本当に多くのお買い物客の中で、各商店街の取り組みなどの紹介や、菖蒲の鉢植えがあたる「大阪クイズ」を実施したり、スクラッチカードのデザインを作ってくれた二神さんへの記念品贈呈をしたり、にぎやかにキックオフができました。

身近な商店街でお買い物をしてくださいという趣旨とともに、大阪の商店街が持っていた活力をなんとか引き出したいという思いが、このイベントの企画となり、そして6月5日現在で市内296ヶ所、7975店舗がこの「まいどおおきに!わくわくカード」の催しに参加してくれています。

実行委員会としてはスクラッチカードの手配や広報、特賞プレゼントを負担しますが、それ以外のアイデアやWチャンス(各商店街などでのガラポン抽選会)の趣向は全て参加している商店の発案でいこうというものです。

これも「市民協働」の一つだとうれしい限りです。今日のキックオフイベントでも何とか「消費拡大」につなげたいという思いを感じることができました。

「まだ定額給付金が振り込まれてないぞー!」というお叱りも受け、現場で謝らせていただきましたが、6月末までには殆どの方に振り込まれる見込みですのでお待ちくださいね。
実施時期や「あたり」の種類がそれぞれに違うので、商店街や小売市場、公設市場でどういったイベントが実施されているのか、是非チェックしてお出かけください。

2009年6月 5日(金) 外交日程目白押し 

今日(4日)は南アフリカ共和国から大使がお見えになったのに続いて、8つある大阪市の姉妹都市ハンブルクからレーダー議長団が友好都市提携20周年を記念して市役所にいらっしゃいました。本庁1階の市民コーナーではハンブルクのカメラマンが見た両都市の比較を切り取った瞬間の写真展を開いています。

明日(5日)はネパール大使が来られるなどこのところ市役所には外国からのお客様が続いています。先週はリヨン市から経済ミッションが、またその前には姉妹都市のひとつサンパウロからも姉妹都市提携40周年を記念してカサビ市長をはじめとする代表団がこられました。

今年、姉妹都市提携の周年事業が重なるといういわば「特異年」になるのかもしれません。8つあるうちの4都市と周年(5年刻み)になります。ブラジル・サンパウロと40周年、中国・上海とは35周年、ロシア・サンクトペテルブルグとは30周年、そしてハンブルクとは20周年です。

大阪市の歴史をみると本当に海外との市民レベルでの交流を行政が一緒になって進めてきた歴史があります。こうした市民レベルの交流を今後もより一層深めていきたいと思っています。日本というと「東京」だけという状況の中で、本当に心豊かな文化、歴史をもっている地域が関西です。そして、その中でも大阪のホスピタリティは絶対に胸を張れます。

そうした「大阪市」の代表としてあらゆる機会を捉えシティプロモーションを続けています。関西・大阪という存在感で友好関係を広く、深く、大きくしていく活動を、民間の活発な交流の歴史や流れに助けられながら、より一層発展させるのもある意味で「市民協働」といえるのではないでしょうか。

2009年6月12日(金) ロシア連邦ナショナルデー


もう日付が変わっていますので、12日がナショナルデーのロシア連邦では今日が誕生日ということになります。11日の午後6時から豊中にある「ロシア領事館」で開かれたナショナルデーのパーティに参加しました。

プロホロフ総領事の流暢な日本語スピーチに触発されたわけではないのですが、せめて挨拶だけでもその国の言葉でと思い、最近は「皆様、こんばんわ(こんにちわ)。大阪市長の平松です」くらいはその国の言葉でと思っています。

先日のイタリアナショナルデーでイタリア語、ハンブルクの議長団来阪時のレセプションではドイツ語、今日のお昼はオーストリア大使でドイツ語という状況に続き、ロシア語挨拶に挑戦となりました。中之島から豊中までの間に公用車の中で「ブツブツ…」

「紳士淑女の皆さん、こんばんわ。大阪市長の平松と申します」というだけなのですが、普段なじみのないロシア語だけになかなか頭に入ってくれません。「ダームィ イ ガスパダー ドーブルィ ヴィェーチェル。 ミニャー ザヴートゥ クニオ ヒラマツ ヤー メール オーサカ」というものでした。

冷や汗ものでしたが、なんとか分かっていただけたようです。例えたどたどしくても、外国の方が日本語で挨拶されるとうれしくなりますよね。それと同じ感覚だと思って、あらゆる言語で挨拶に挑戦しようと思っています。

今年はサンクトペテルブルグとの姉妹都市30周年とハンブルク20周年のため、秋に2都市を訪問する予定です。さまざまな場面で都市プロモーションを展開するために、まずコミュニケーションの初歩から大阪を印象付けたいと思っています。

2009年6月 7日(日) あっ!ホタルが

6日(土)に鶴見区の茨田北小学校で開かれた「ホタルの夕べ」に合わせて「なにわ元気アップ会議」を開催しました。10年前にふとしたことから子供たちに自然のすばらしさを教えたいという有志の集まりから始まった「鶴見にホタルを飛ばす会」の活動が、「はぐくみネット」の活動とリンクして去年校庭のすみっこにこじんまりとした「ビオトープ(生物生息空間)」を会員の協力で作り上げ、1000人ほどの老若男女が「ホタル」を楽しんだそうです。

昨日はその2回目で、去年放流したホタルが交尾し「自生」のホタルとして子供たちの前に(もちろん多くの大人も)ほのかな輝きを見せるという「夕べ」でした。

「元気アップ会議」ではすでに鶴見区内6箇所でホタルが自生する空間を作ってくださった方たちとの会話が弾み、地元の有志による息の長い取り組みが見事に効果を挙げているすばらしい例だと実感しました。

MBS時代、ニューヨークに3年間駐在した際に、郊外にあった社宅の庭に飛んできたアメリカのホタルを見て自然の豊かさに驚いたことがあります。そのときのホタルは「オレンジ系」の色と、いともあっさりと「ポッ!」と輝いておしまい…そんな感じでした。ところが「ゲンジボタル」は緑にやや黄色がかった淡い光を放ち、本当に味わい深いものがありました。

見入っている子供たちの眼の輝きもすばらしく、こうした活動から「心豊かな」子供たちが育ってくれればと、この取り組みを長年続けてこられた皆さんにただただ感謝感謝感謝です。