明日(’11.12.19)から1市民に戻ります。

2007年の12月19日から4年間、大阪市長として過ごさせてもらいました。退庁セレモニーが16日の午後4時半から市役所の1階ホールであり、4年前に緊張しながら初登庁したときとは違う感慨を胸に市役所をあとにしました。

光のルネサンス開会中なので、通常の執務時間内でのセレモニーでしたが、多くの職員や市民の皆さんも駆けつけて下さっての退庁は、皆さんの顔すらきちんと見る余裕さえなく、自分の中では一瞬で車に乗り込んだ感じの時間の流れでした。

明日は橋下新市長との引き継ぎが午前中にありますので、少しだけ市役所に行きます。選挙が終わって今日までの3週間は、市長になって初めてといっていいほどゆっくりとした時間が流れたような気がします。一方で18日までは「市長」なので、気を抜けない部分も当然あり、複雑な時間であったともいえます。

お世話になった方へのご挨拶、電話連絡などをこなしながら、多くの市民の皆さんにご挨拶できていないという思いはずっとありました。就任直後、最初のうちは「?」と思っておられた地域の方々も、「市民協働」「いっしょにやりまひょ」精神で走り回るうちに、「いっしょにやろか?」と応えて下さった方が年々増えていく実感がありましたし、財政改革と同時進行の重点施策にご協力頂き感謝の思いで一杯です。

今後のことは未定としかいえません。明日以降、外側から自分なりに大阪市政の進む方向をしっかりと見させていただこうとは思っていますが、何がどうなるのか明らかになって、それが多くの市民にとって望ましい方向性なのかどうかなどを見守りたいとしか言えません。

政令市・大都市ならばこその矛盾を抱え、しかし、だからこそ日本の自治体のモデルたるべしという気概を持ちながら、先人が積み上げてきた伝統や歴史がどう変わっていこうとするのか。マスメディアでは伝えられない部分なども私なりに考えることができればいいなとは思いますが、それも少し時間を頂ければと思います。

本当にありがとうございました。

独占手記「大阪は独裁・橋下知事に屈しない」(文芸春秋11月号掲載)

さる10月8日に発売された文芸春秋11月特別号に寄稿した手記を、文芸春秋社の了解を得て全文掲載します。サブタイトルは「恐怖政治から大阪市民を守る―11・27市長選に向けた「決起宣言」」です。

大阪市は今、存亡の危機にあります。「大阪都構想」なるものを掲げるポピュリスト、いや、最近では堂々と「独裁が必要だ」と広言している橋下徹という破壊者によって。

大阪府知事でありながら、同時に「大阪維新の会」という地域政党の代表である橋下氏は、大阪市を敵だと一方的に決めつけ、圧倒的な支持率を背景に、独善的な政治的主張を盛んに繰り広げています。その発言は、知事と政党代表としての立場が区別されることなく、マスメディアによって刺激的に報じられ、あたかも「改革の旗手」であるかのように映っているかもしれません。しかし、大阪市長として、彼とさまざまなやり取りをしながら近くで言動を見てきた私からすれば、つくづくその手法や考え方ほど危険なものはないと感じるこの頃です。

橋下知事は、十一月二十七日に行われる大阪市長選挙に、知事を辞任して出馬する構えを見せています。そして、自分と気脈の通じる人物を後任の知事に推し立て、大阪市だけでなく、周辺の自治体を解体する構想を推し進めようとしています。東日本大震災で私たちが学んだのは、中央集権と経済成長一辺倒で走ってきた戦後社会の脆弱性と同時に、多様な地域が支え合い、協力し合って困難に立ち向かうことの大切さだったはずです。市長就任以来、役所文化を改革する為には、絶えず市民と直接触れ合うことで、大都市としての行政であっても市民の思いや動きを反映させながら、関西圏の経済活性化に繋げるかに腐心してきた私にとって、彼のような考え方が通れば、「自治」「自立」「公共」といった、これから私たちが再構築していかねばならない社会の仕組みが破壊されてしまう。意見や立場を異にする相手に対して、話し合いで調整や合意点を探るのではなく、問答無用で切り捨てるような恐怖政治がまかり通ってしまう。大阪市の瀕している危機は、そのまま地方自治の危機であり、民主主義の危機だと感じます。

橋下知事のいったい何が危ういのか、そして、彼の主張する構想や大阪市攻撃のどこに決めつけや誤りがあるのか、それをまず明らかにしたうえで、私が大阪市長として、この四年近くの間に考え、実行してきたこと、さらには、今後目指してゆく地方自治の姿をこれから書き記します。私は先月十九日、二期目の市長選に挑戦することを表明しました。これは橋下知事、いや、「大阪維新の会」の橋下代表と戦う私の決起の一文でもあります。

なお市長という「政治家」に分類される職にある者として、感情を交えいわば生身の「人間平松」として書き記すことが皆様に違和感を与え、「政治家」としての弱さとも受け止められるかもしれませんが、いま大阪市を中心に生じている出来事を皆様にヴィヴィッドにご理解頂くため、敢えて飾ることなく、この稿を取りまとめましたことを申し添えます。

決め付け、切り捨て発言の数々

橋下さんの思想信条がどこにあるのか、実は私にはまったく分かりません。大阪府知事として彼がどんな成果を上げてきたのか、何を目指しているのか、それも分からない。基本的には、市場原理主義やネオリベラリスト(新自由主義者)的な自己責任論、つまりは強者の論理を信奉しているのでしょうが、単純にそれだけでもないようです。その場その場でメディア受けを狙った発言を繰り返すため、首尾一貫した思想や哲学といえるものが見えてこないのです。アドバルーンを上げて世論やメディアの反応を探り、前言撤回をしても、それを「潔さ」だと見せる手法にまんまとメディアも乗せられてしまっている。

普天間基地の移設先が問題になっていた時も、彼は個人的な考えとしながらも「関西国際空港でその機能を受け入れることも検討すべきだ」と発言しました。実現不可能だと分かっていながら、とりあえず耳目を引く極論をぶち上げる。しかも、発言の約一年後、仲井真弘多沖縄県知事が関空視察の意思を示されたのに対し、「関空は伊丹空港と統合の話がスタートしたので、(視察するなら)神戸空港へ」と突き放しました。政局漫談レベルなら許されても、現職知事が軽々に口にするような発言ではありません。

震災後から盛んに言い始めた原発に関する発言にしてもそう。関西電力の十五%節電要請に対し、「府は協力しない」と一蹴し、「原発が必要なら電力消費地の大阪に造るべきだ」などと言い放つ。私も、火力などのいわゆる埋蔵エネルギーを活用し、代替エネルギーの開発に取り組んだうえで、将来的に、反原発ではなく脱原発を目指すべきという方向性は同じです。関電に対し節電要請の十五%という数字の根拠が示されないのはおかしいということを指摘し、節電効果を問う公開質問状も出しました。筆頭株主でもある大阪市の市長として、初めて株主総会に出席し、意見も述べました。ある日、府庁で記者会見する際の背景ボードにこんなキャッチコピーがあって驚きました。「エアコン切れば原発止まる」。猛暑で高齢者が熱中症になったり、病人を抱えたりしているご家庭だってある。設定温度を変えるだけでも節電効果はあるのに、あのコピーを見た人たちはどう感じるでしょうか。

「発信力がある」とされる彼の発言というのは、結局こうしてさまざまな問題を切り捨てて単純化・短絡化しているだけなのです。だから、彼の言葉はワンフレーズで力強く、分かりやすい。でも、そんな分かりやすさは危険です。何度かフォーラムや意見交換会で同席しましたが、彼とは対話が成り立たない。あらゆる問題を自分の恣意的な価値観によって「イエスかノーか」「賛成か反対か」の二者択一の設問に変え、単純明快な回答を迫る。自分と意見が違えば、こちらが守旧派であるかのように決めつけ、一蹴する。世の中の不満や閉塞感に乗じて敵を作り上げ、嵩にかかって攻め立てる。そういう相手と対話が成り立つはずがありません。

弁護士時代と同じように、少々乱暴な表現や過激な主張をしても許されると彼が思い込んだきっかけは(二〇〇九年三月の)国の直轄事業負担金をめぐる「ぼったくりバー」発言ではないでしょうか。メディアで大きく報じられ、喝采を浴びたことで、本人も手ごたえを感じたでしょうし、メディア側も見出しになる発言をすると、折に触れてコメントを求めるようになった。発言や施策の中身がきちんと検証されないまま繰り返し流されるうちに「ヤンチャやけど、おもろいことを言って頑張っている」というイメージができ上がっていく。あらゆるメディアを通じて、同じフレーズが幾度も繰り返され、印象操作とかサブリミナルという以上の影響を与えているのではないでしょうか。メデイアの役割は、事実をどう正確に視聴者に届けるかであり、善良な人たちを集団催眠にかけることに手を貸すことではありません。メディアにいた人間として、いまさらながらにその責任の大きさを痛感します。

そして、ある時期から攻撃の矛先が大阪市へ向かうようになり、「大阪の停滞の原因は大阪市役所にある」「市役所を解体しなければ大阪の再生はない」という大阪市悪玉論へ急速に傾いていったのです。

地方分権に逆行する「大阪都」

そもそも、橋下知事と私は最初から対立関係にあったわけではありません。大阪府と大阪市というのは歴史的に対立することが多く、「府と市で府市合わせ(不幸せ)」などと揶揄されてきました。極端な例としてバブル末期には建設中のビルの高さを競い合って計画を変更したという「伝説」もあります。そういう役所文化を変え、行政の無駄をなくすため、民間出身の首長として、私たちはほぼ同じ時期に役所に乗り込みました。共にテレビの世界にいた──彼はコメンテーターで、私はアナウンサーと立場は異なりますが──ということもあり、最初のうち私たちの関係は良好で、それまでの府市の溝を埋めるべく連携を模索していたのです。

ターニングポイントは、水道事業の統合協議でした。いわゆる二重行政解消の象徴(厳密には違うのですが)ということで、すべての情報をオープンにして何度も協議を重ねました。その結果、大阪府内の市町村へ送水している府の水道事業を市が受託するコンセッション方式への移行で合意し、覚書を交わしました。二年前の九月のことです。各市町村との調整は「府」が責任を持ってやることになっていたのですが、橋下知事は市町村をまとめられなかった。昨年二月に行われた知事との意見交換会で「府の水道部あるいは府営水道協議会に対してどういった動きをされたのかというデータをお示しいただきたい」と要望しましたが、一切回答はありません。「まとめる」動きをされたのかどうかも示されない。しかも知事は「大阪市が他の市町村から信用されていないからだ」と責任を転嫁してきました。それも直接ではなく、メディアを通じて。方針変更についても、協議打ち切りについても、何の連絡もありませんでした。逃げ足が速く、言い訳だけは巧み──。この一件で、私は彼が信用に足る人物なのか大いに疑問を持ちました。

昨年の一月、橋下知事は唐突に府市再編を口にしました。「アジアとの競争力を持つには(行政の)規模が必要」「一回(大阪府と大阪市を)ぶち壊して新たな大阪を作っていく」と。それが、現在の火種である「大阪都構想」につながっていくわけです。その構想も二転三転、方針が迷走し、内容がなかなか定まらなかったようですが、先ごろ発表された推進大綱なるものによると、だいたい以下のようなものです。

政令市である大阪市、堺市を分割し、人口三十~五十万人の「特別自治区」とする▽特別自治区には公選区長と議会を置く▽「都」が成長戦略や広域行政を、「特別自治区」は住民サービスを担う▽税財源は地方交付税などを都に三十九%、区に六十一%配分する▽二〇一五年四月一日から都に移行

もっともらしく人口規模や税配分など並べていますが、いずれの数字にも根拠はなく、どう区割りするのかも示されていません。「自治体は三十万人が適正規模」と彼らは言いますが、それを裏付ける試算や学説がどこにあるかも不明です。何より、大阪・堺両市議会での議決、住民投票から法整備まで、さまざまな手続きが必要となる制度変更をたった四年足らずで終えると言い切る無責任さ。どこまで本気で言っているのか疑いたくなります。また、大阪・堺両市以外の市町も三十万人規模に編成して中核市並みにする、とこれまでになかった話も出てきました。

「大阪都構想」に反対する理由はたくさんありますが、最大の理由は地方分権に完全に逆行する考え方だからです。上から市域を切り分けて財源や権限を「都」に集めるという発想は、戦時下、彼が尊敬すると称している東条英機首相(当時)により首都防衛のために導入されたもので、地域主権でも何でもなく、狭い府域に新たな集権機構を作り出すだけです。地域が積み重ねてきた歴史や文化、産業の集積や住民の構成、地域間バランスも何もかも無視して、人口規模だけで一律に再編すれば効率的に管理・運営できると考えているのも問題です。街は機械のパーツではありません。

彼らの発想は常にそうです。文化や伝統、個性といったものを軽視し、すべてを効率論と経済合理性だけで語る。今思えば、知事が就任直後、府職員たちに言った「あなたたちは倒産会社の社員だ」という発言は象徴的です。自治体の運営を企業経営やビジネスとまったく同じだと考えているのでしょう。カネを生むものだけが偉いのであって、そこには「公共」を支える意識も少数者への配慮もない。地域の問題意識や住民の創意工夫を積み上げていき、行政はそれを解決・実現するためにサポートするという、これから目指すべき「自治」や「協働」の発想もまったくない。

区長公選をはじめ、選挙の導入にこだわるのは、一見民意を装いながら、実は「選挙で勝てば何でもできる」という驕りがあるからだと思います。彼らの民主主義理解は、「勝った者が総取り」の弱肉強食社会を肯定するような市場原理主義に基づいており、極めて浅薄です。統一地方選で府議会第一党となった維新の会が、「職員基本条例」「教育基本条例」といった問題の多い条例案を、公約に一切謳っていなかったにもかかわらず数の力で強引に通そうとするのも、その表れでしょう。繰り返しますが、「選挙で勝てば何でもできる」というのは民主主義ではありません。少数意見とどう折り合っていくか。多様性をいかに担保していくか。私はそれが民主主義にとって一番重要だと思っています。

市民生活に根差した改革を

どうも、独裁批判だけに紙数を割きすぎてもいけませんので、少し話題を変えましょう。橋下知事及び維新の会とは異なる立場で私が取り組んできた市政改革とは何か。どんな都市の将来像を描いているのかを説明します。

大阪市は長い間、東京一極集中による企業流出や不況の影響を受け、税収が落ち込む一方で、市の職員が多過ぎる「高コスト体質」を指摘されてきました。現業職員の多さも一因ですが、その背景には大阪が都市として発展してきた歴史があります。そのうえ、私が就任する前には「職員厚遇」が大きな社会問題になったり、就任後も数々の不祥事が頻発したり、職員のモラルを問われるような事態も相次ぎました。そのことは率直に認めなければなりません。だからこそ、高コスト体質を改め、職員のモラルや資質を向上させる取り組みを進めてきました。

市政改革は、關淳一前市長がまとめたマニフェストを基本的に踏襲するところから始まりましたが、職員の削減数では、關マニフェストが当初掲げた「五年間で七千人削減」を大幅に上回り、既に八千五百七十人削減を達成しています。前市長は「五年間の採用凍結」としていましたが、それでは組織に断絶が生じるため、採用数は大幅に絞りながら再開したうえでの達成です。二〇一五年度までにさらに五千人減らし、市民一人当たりの一般行政職員の数は横浜市並みにする予定です。平均給与月額もカットにより、十九政令市中十五位ですから、下から数えた方が早い。また、昨年三月には職員の服務規律を厳格化しました。停職は最長三ヵ月だったのを一年に延長、懲戒処分二回以上で分限免職検討のルール化という日本一厳しい規律です。

市債残高はまだ五兆六百八十八億円に上っていますが、私が就任前の平成十六年度まで増える一方だったのが、翌年以降は年々減り続け、今年度までに四千億円以上縮減しています。実質公債費比率(税収に占める返済負担の度合い=返済能力のこと。低いほど健全)も一〇・二%(二〇一〇年度)まで下がっています。ちなみに、同じ年度の府のデータは十七・六%。橋下知事は「一千億円の財政収支を改善」などと誇っていましたが、府債残高は六兆円以上と、借金は増えているのです。一部メディアは、府と比較する紹介に対して「泥仕合」と報じることがありますが、最初に「改革は止まった」と〝口撃〟されたのは大阪市であり、事実をもって反論しているに過ぎません。

しかし、リストラやコストカットだけでは、街の将来像や成長戦略は描けません。新しい産業分野での取り組みも進めています。例えば、東日本大震災で必要性を痛感した代替エネルギー対策もその一つ。大阪湾岸の夢洲(ゆめしま)では、最新鋭の天然ガス火力発電所整備のための調査を指示しました。ゴミ焼却炉発電とバイオマス資源の利用や、既に事業化へ向けて動いているメガソーラーを組み合わせて、脱原発や「エネルギーの地産地消」を進めるという方向性です。

さらに大きな夢の話をすれば、大阪市立大で研究を進めようとしている「人工光合成」があります。「複合先端研究機構」の神谷信男教授グループが、光合成の際に水を分解し酸素を発生させる分子構造を世界で初めて特定、科学雑誌「ネイチャー」電子版に発表しました。簡単に言えば、太陽とCO2からエネルギーが作れる―という研究で、そうなれば完全な循環型社会が実現します。そのため、秋の補正予算案に研究拠点整備費を盛り込みました。

他にも、大気や水質の公害を克服する過程で蓄積された大阪・関西の企業の環境技術は世界トップレベルですし、大阪市が誇る長い歴史を持つ上下水道の技術力もある。今、これらをアジアなどの海外に官民連携でプロモーションしており、関西系企業の発展がひいては雇用に繋がり、さらに税収増に結びつくという夢を描いています。

大阪市は、イギリスの「エコノミスト」誌が世界主要百四十都市を調査した「最も住みやすい都市ランキング」でアジア第一位、世界でも十二位の高評価を受けました。もちろん嬉しく思ったものの、私としては、意外というほどでもありません。官民一体で進む水辺環境の整備や様々な都市の魅力向上のイベントに加えて、「街頭犯罪ワーストワン」などという、むしろ隠しておきたいイメージを逆手に取り、この三年近く汚名返上に向けて市民と一緒に取り組んできたからです。その結果、「大阪の代名詞」とまで言われたひったくり件数一位を昨年返上するなど、プラスイメージの発信に変えることができました。大阪市の都市環境は、着実に良い方向へ変わってきています。「住みたいまち」は、企業にとっても「進出したいまち」。こうした取り組みは究極の企業誘致戦略になるでしょう。

カジノ構想を掲げる橋下知事は「猥雑なものは大阪で引き受ける」などと言っていましたが、そんな底の浅い文化観ではとても追いつかないほど、大阪の街はどんどん変わってきている。それを皆さんに知っていただきたいのです。彼が喧伝する大阪市悪玉論などに惑わされず。

橋下知事の派手な言動をメディアで見慣れている方々から見れば、私のやってきた仕事は地味に映るかもしれません。しかし、大阪市は大都市でありながら、府と違って、直接市民生活に関わる基礎自治体です。身近なところから、地道な取り組みを着実に重ねていくことが大事な改革の一歩です。そこから始めることなく改革はあり得ません。

大阪に「恐怖政治」は要らない

先ほどさまざまなデータや事業を並べて市の現状や将来構想を語りましたが、大阪市の最大の魅力は「人」。やはり「人」こそ資産だと私は思っています。市長になってさまざまな地域の行事や集会に顔を出し、活発な市民の方々とお話しするとつくづく感じます。大阪市は二百六十七万人の大都市ですが、地域振興会(町内会)の加入率が今でも七割を超えています。元々、自治や自立の意識が強い土地柄です。これは幕府の直轄領となり、武士よりも町人の方が圧倒的に多かった江戸時代からそうですが、お上に頼らず、自分たちで町を運営してきた歴史があります。号令一下で、行政の枠組みを変えればすべてうまくいくかのような上からの発想は必要ないし、なじまないのです。大阪市は近隣市と連携し、また京都・神戸・堺という政令市との絆を強めて関西圏域の発展に寄与する方が、「大阪都構想」なんてものを考えるよりも、よほど重要だと私は思っています。私が出馬会見でお話しした「特別自治市」の考えが、大阪市はじめ政令市が府県から独立するだけのように取られる方もいますが、これは近隣市と互いに連携し補い合うことが前提になるもので、そういった連携をより強力に進めることに繋がります。

私は今、「あなたは改革の旗手か」と問われれば、違うと答えます。なぜなら、昨今メディアなどでもてはやされる「改革」とは、既存のシステムや制度をぶち壊すだけの一面的なイメージで語られていると感じているからです。公務員さえ叩いていればいいという風潮や、市民の不安と不満を煽ってバッシングを繰り返す扇動的言説は、やがて「公務員無用論」に行き着くでしょう。

確かに、大阪市のお役所文化は改善の途上であり、まだまだ直すべき点は多い。やたらと縦割りに縛られた職員の意識を変え、コスト削減や市民への説明など市民感覚を徹底させていかねばなりません。その成果は確実に出ています。

市長特別顧問になっていただいている内田樹神戸女学院大学名誉教授から「ブリコラージュ」という考え方を教わりました。手持ちの物を組み合わせてやりくりし、しかも新たな価値を作り出す―というほどの意味と理解しています。先進国経済が一瞬にしてどん底に落とされたリーマンショック、その前のバブル崩壊、そして大震災。この閉塞感に満ちた現状を打ち破るのに、逆らうものは倒してしまえというやり方がふさわしいとはとても思えません。

橋下知事は「今、独裁が必要だ」と語った同じ席で「大阪市の権限、力、お金をむしり取る」と気勢を上げたそうです。結局、それが本音なのではないでしょうか。目障りな大阪市を解体して存分に権力を操りたい、と。また、つい先日は、維新の会の大阪市議たちに市職員を調査・評価させ、「大阪都構想」に反対の職員は外すとぶち上げました。まだ出馬も表明しないうちから職員を恫喝するなど言語道断です。独裁者の恐怖政治から大阪市民を守る。市長として絶対に負けてはならない闘いになる。そう私は覚悟を決めています。

橋下さんのツイッター…

橋下代表のツイッターでのつぶやきで、大阪市民の皆さんに対し、余りにも失礼と感じる内容がありましたので、紹介し、自分の考えを述べたいと思います。

8/8:0時18分「区民祭りの市長挨拶では、維新批判を展開。行政の長としての発言を逸脱しています。区民祭りは市役所の行事。当然大阪維新の会支持の市民の税金も使われています。あくまでも行政の行事のはず。ここで政治発言をすることに市役所は何の疑問も持たない。むしろ積極的にやっている。大阪市役所恐るべし。」

8/8:0時22分「大阪市役所は総力を挙げて平松市長を当選させるために活動をしている。公金をフルに使い、区民ホールや、小中学校も使い放題。市役所の人員もフル稼働。補助金を出している地域団体を総動員。挙げ句には補助金を出すことをその場で約束。なりふり構わずの選挙戦です。」

以上が、橋下代表のツイッターの内容です。

改めて申し上げますが、私は市長当選以来、とにかく地域の皆さんの生の声を聞きたい、大事にしたいとの考えから、全区の区民まつりに参加しています。橋下さんはその区民まつりを「市役所の行事」としていますが、これは各区のコミュニティ協会が主催であり、地域の皆さんにより、各区ごとに毎年、様々な工夫が凝らされ、地域の皆さんが一体となる手作りの行事です。区民まつりには多くの維新の市会議員・府議会議員も参加されていますが、その方たちも区民まつりを、「市役所の仕事」「あくまでも行政の仕事」と橋下さんと同じ意見をお持ちなのでしょうか?

また、ご紹介した2つ目は恐らく今、各区で展開している「防災フォーラム」のことを指しているのだと思います。東日本大震災の惨状を目にして、市民の命を守る為に何が一番重要なのか、市内の127の中学校下で区長が中心となって、各地域に応じたフォーラムを5月から開催しています。

この防災フォーラムは地域の皆さんが、いざという時、そこに暮らす人々の命をどう守るのか、自分たちの街をどう守るのか、世代を越えて真剣に話し合う場です。それを「なりふり構わずの選挙戦」とは大阪市民への冒涜ともいえるのではないでしょうか。

阪神淡路大震災の時も自助・共助の重要性が叫ばれました。自分達のまちを愛する気持ちの強い大阪市民の皆さんが、お休みや夜間に時間を割いて真剣に話し合うことが「選挙運動」なのでしょうか?被災地で実際に救援活動をした職員や、行政支援活動をした職員、防災の専門家が講師となり、いつ起きるか分からないと言われる災害に備える心構えを共有しようという動きを、どうして政治活動と決めつけられるのか理解に苦しみます。

さらに「補助金を出すことをその場で約束」とは、一体何を根拠におっしゃっているのか、皆目見当もつきません。お得意の決めつけの根拠は何なのでしょう?

優しくて心温かい大阪市民の皆さんの気持ちにまで、政治の対決姿勢を持ち込み、一方的な決めつけで語られる。情報発信に強力な影響力をお持ちの橋下さんだからこそ、真実をその眼で見た上で発信されるべきであり、ご自身がいつもそう仰っているのではと疑問を持ちます。

140字のツイッターによってばらまかれる事実ではない認識の拡散を危惧します。

今回、初めて橋下さんのツイートを例に出させてもらいました。今後もこのブログで危惧を感じる部分については指摘させて頂こうと思っています。(ツイッターでは字数、PCに向かう時間の制限などがあり、不向きだと以前から言っていますのでご理解のほどを)

ASEAN出張報告の2 インドネシア、ベトナム

シンガポールに続き、インドネシア、ベトナムの報告です。

インドネシアでは到着日に観光、環境などのセミナーを開催。当初80人の出席予定が130人を超える参加者で、同時通訳のヘッドセットが足りなくなるほど。またベトナム・ホーチミン市でも同様に多くの方たちの参加を得て、関経連、大商、近畿経産局、関空など官民一体となったトッププロモーションへの関心が高さが表れていました。また、私が担当したプレゼンで印象に残ったのは、環境面で50年前の大阪市の写真をスライドで紹介した部分でした。

市電を囲むように渋滞があふれている様や、生活排水などを川に捨てていた「水都」とは程遠い写真に、多くの方が身を乗り出されるのを感じました。実はこの部分は事前にインドネシアメディア各社から大阪で取材を受けた際に、記者の皆さんに紹介した写真で一番インパクトが強かった部分です。この反応を見て今回のプレゼンでは具体的に「半世紀」の違いを見てもらうことにしました。

空港から中心部に向かう道路はバイクで溢れ、凄まじい交通渋滞に加え、河川の周囲の「バラック」に暮らす人々。一方で、中心部には最先端のビルが立ち並ぶ光景。人口世界第4位の国インドネシアですが、都市インフラ自体が追いつかない現状です。50年前とは比べ物にならないほどきれいになりつつある大阪市の今の姿を、自らの近未来に重ねて欲しいという思いがしました。

インドネシアでは中小企業大臣との会談や、スリンASEAN事務総長、西村ERIA事務総長と会談し、開催中のジャカルタフェアを視察。このジャカルタフェアは、あらゆるものを展示・販売するという総合物産展で68年から始まったもの。32日間の会期中に300万人を超える入場者があり、消費材を安く入手出来、また新製品を手に取って見ることができるジャカルタ市民の「お祭り」になりつつあるようです。

また、大阪市では企業チームとの官民共同提案でインドネシア・東ジャワ州マラン市での統合型廃棄物発電事業調査にも経産省から採用されており、環境課題解決のための実践や、海外物産展などの交易事業、展示会・見本市などの開催に向けて協力できる余地は十分にありそうです。インドネシア滞在中はハディ在大阪インドネシア共和国総領事が同行して下さいました。ありがとうございました。

今回訪問した3カ国の特徴はいずれも88年から大阪市が始めたビジネスパートナー都市提携先です。大阪の中小企業の国際化や活性化を図るために設立、ネットワーク活動が盛んになってきています。

そして今回の出張のもう一つ大きなイベントとして、ベトナム・ホーチミン市との覚え書き調印に臨みました。環境保全・水道・都市洪水対策・下水道・廃棄物処理などに関する協力を促進していくことについての覚書です。ホーチミン市人民委員会との調印の模様は大阪市のHPに詳細がアップされています。 http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/seisakukikakushitsu/0000133023.html

ホーチミン市では市内中心部ですら、満足な水圧が得られない日常的な「水」問題を抱えており、多くの民家が屋上に貯水用のタンクを設置している状態です。「水質」以前に安定配水の大きな問題をこの目で見ることができました。蛇口をひねるといつでもきれいな「飲料水」が出てくる大阪とは大違いです。

非常に親日的な国民性を感じられるベトナムとの間で、生活インフラに関して歴史的に苦労を重ねてきた土地だからこそわかる面や、開発してきたシステム、そしてそれを支えてきた企業群の技術と共に課題解決に協力でき、それが関西企業の経営にも大きく寄与することになれば、公共としての役割を果たせるのではと感じます。

今回のそれぞれの国でのセミナーについては、この4月に関経連、大商と連携して立ち上げた「大阪市 水・環境ソリューション機構」の存在が大きいと感じます。関西系企業がもつ技術力の高さと大阪市が持つ環境・都市経営ノウハウを共同で展開してこそ、地域経済の活性化、中小企業の海外展開への協力につながり、それと同時に震災後の日本で、観光などの落ち込みからの脱出、関西から復興へつなげる動きを積極的に進める上でも大きな成果があったと感じます。

もう一点。大阪市の水道水「ほんまや」はそういう意味でも希望の象徴になりうると感じました。

プレゼンでも、近畿の水がめ「琵琶湖」から最下流の大阪市まで流れてくる間に、多くの上流住民や企業が使った水を再利用して「モンドセレクション」の金賞を取ったという紹介は多くの興味を惹き付けました。ベトナムホーチミン市は機上から見ても起伏の少ない、水害の多いまちです。

下水道整備という部分でも、大阪市が大都市のインフラ整備に企業の技術を生かしながら、多くの知恵と力を結集して住みやすいまちを作ろうとしてきた歴史がものをいうはずです。胸を張って「環境先進都市」ということが言えると実感したASEAN3カ国の歴訪でした。

資料:今回の出張日程(市HP)http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/seisakukikakushitsu/0000126254.html

大阪市 水・環境ソリューション機構 HP http://www.owesa.jp/

アセアン3カ国への出張を終えて1(シンガポール)

7月3日からシンガポール、インドネシア、ベトナムを訪問し大阪・関西が持つ水・環境技術や観光のPRをしてきました。それぞれに違うお国柄ですし、関西経済連合会、大阪商工会議所、近畿経済産業局、大阪観光コンベンション協会、関西国際空港株式会社という官民合同のプロモーション活動でしたので、かなりハードなスケジュールではあったものの、新たな展開に繋がる可能性も十分に感じられる出張でした。

日程についてはツイッターで呟きましたが、それぞれに感じたことまでは書く時間的余裕もなく、いずれも初訪問の地だっただけにこのブログにまとめようと思った次第です。

最初の訪問地、都市国家シンガポール。国際水週間というシンガポールが始めた国際的な会議、イベントに大阪市として3年前から参加しており、今回は「水・環境ソリューション機構」をこの4月に立ち上げたことから、チーム関西として「水エキスポ」にも出展。それに合わせて関西のプロモーションセミナーを開催しました。

シンガポールにとって水問題というのは建国以来の懸案事項。住民インフラの大きな部分、「水」問題に対しては、海水の淡水化技術などを積極的に導入。国際ハブとして懸命の努力を続けており、そうした努力を前向きに進める一つの選択肢として、世界水エキスポという攻めの姿勢がでているのでしょう。

そこでの集客・観光や水・環境問題へのプロモーションですから、セミナーの中で観光業者の方たちを相手の「大阪・関西は元気です」というアピールに主眼を置くと同時に、大阪市が持っている水・環境技術のPRをしました。

また、大阪市内のものづくり企業が国際ビジネスに意欲的に取り組めるよう立ち上げた「売りづくりセンター」事業ですが、大阪のサンワカンパニー社(本社:中央区北浜)が今年の3月シンガポール国際家具フェアに参加したことがきっかけになって、海外でのショールームを7月にスピード開設となったオープン式典にも出席しました。

意欲があり、現地のニーズもきちんと把握した上でのスピード感ある展開に繋がった事例だと思います。大阪市には多くの力を持った中堅、中小企業があり、従来から産業創造館を通じてのビジネスマッチングを続けてきましたが、この「売りづくりセンター」はサンソウカンの機能をさらに充実させながら海外展開へと結びつけるための事業で、最近実績が上がりつつあります。

海外展開支援プロジェクト「売りづくりセンター」については

http://www.ibpcosaka.or.jp/uridukuri/index.html

サンワカンパニーHP

http://www.sanwacompany.co.jp/wp/6845.html

関西電力株主総会に出席して

6月29日、関西電力の株主総会へ出席してきました。

大震災後の福島原発を巡って、東京電力、原子力保安院、政府の対応のまずさを見るにつけ、改めて適確な情報開示の大切さを思うとともに、今こそ、「脱原発」を目指して国民全体で議論していくべきだと思っています。(前回ブログ:「なぜ脱原発なのか」)

この間、関西電力の筆頭株主としての立場と、266万市民の生命・財産を預かる市長としての立場とを、どうバランスを取るのか、私なりに熟慮を重ねた末、6月17日の定例会見で「脱原発」と発言し、20日に関西電力社長に個別にお会いして私の考えをお伝えした上で、本日の株主総会出席となりました。

総会では、新エネルギーの開発をはじめ、原子力から多様なエネルギー資源を活用する事業運営への転換を訴えるとともに、節電、エネルギー活用について、より一層の具体的な情報開示をあらためて関西電力に要請しました。

これが、筆頭株主であるとともに大阪市の首長である私が、今なすべきことであったと思っています。

一部には、株主権を行使して「脱原発」へと押し進めるべきだといった声があることも承知していますが、株価への影響、それによってもたらされる市場の混乱、ひいては電力の安定供給や市民の生命・暮らしへの波及など社会的影響の大きさを考えれば、私が今採るべき道でないことは明らかです。

今日の発言によって、電力政策、エネルギー政策全体への市民、国民の注意喚起を実現したいという思いでしたし、関西電力の経営陣にも重く受け止めていただいたと思っています。

これが、本格的な議論に向けた第一歩だと思っていますし、「エネルギー政策室」を立ち上げたのも、今後、エネルギー政策や具体的な節電対策を続けながら、新エネルギーを模索する動きを電力会社だけではなく、あらゆるエネルギー関連の知恵を結集する目的で取り組みたいと思ったからです。

なお、大阪市のホームページに本日の株主総会での私の発言内容をアップしていますのでそちらも是非ご覧ください。

http://www.city.osaka.lg.jp/kankyo/page/0000131068.html

なぜ「脱原発」なのか。

6月17日の記者会見で、「脱原発」を目指してあらゆる知恵を集めたいという思いから、20日に関西電力へ伺う際にもそのことを伝えたいと話しました。大震災後の福島原発を巡って、私が公式の場で原発について発言したのは初めてです。

この間、原子力や放射能にまったくの素人として、自分なりにマスメディアやネット上で展開されるさまざまな議論を読んだり、映像で見たりしてきました。そんな中で原発擁護派と反対派との激論の数々もチェックできる範囲で目を通したつもりです。

記者会見でも福島原発事故に対して何度か「余りにも情報が錯綜していて分からない」と繰り返してきました。そんな中、関西電力からの15%節電要請が寄せられました。
大停電という事態を避けるためにあらゆることを検討するのは当然でしょうし、そのために大阪市としてできることは取り組みます。経済活動の停滞も極力避けながら、市民の皆様に協力を呼び掛けることも当然でしょう。

「効率的でクリーン」なエネルギーといわれた原子力発電であろうとも、今回のように震災後100日たとうとしている現在も確実な見通しがたっていない。さらにその危険性について指摘する声があったにもかかわらず、それが大きく取り上げられることなくむしろ「快適な」生活のためにわざと見ないようにしていたのではないかとも思える情報がネットを通じて伝えられる。

この大震災では、被災地の窮状をツイッターやユーチューブという新しいツールで知り、積極的な支援活動に結びつくという大きな変化もありました。原発についても同じだと感じます。全く知らなかった情報や過去の指摘なども知らされました。

推進派、反対派どちらを信じるのかという不毛な二者択一論ではなく、「国難」ともいわれる状況であるからこそ、命と暮らしを守る立場からは、何も知らされなかった時代に他者に流されてしまった記憶を共有し、的確な判断のもとに後世につなげていくには今何が必要なのか。

安全神話がもろくも崩れ去った今、我々にできることは日本の再生への力を信じることと、新生へ導くための結集を呼び掛けて、新たなエネルギー施策へと国を挙げて挑戦することではないかと思い、「脱原発」を目指しましょうよと会見した次第です。

なお、大阪市HPで会見の動画もアップされています。http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu210/mayor/の動画を見るのボタンでご覧下さい。前半の部分と、15分過ぎからの質疑は殆どがこの件でした。

あらゆるメディアの皆様へ

多くの犠牲者と、今なお不自由な避難所生活をされている人たちと、最前線で命をかけて戦っている人たちに、「何ができるのだろう」、「何かできることはないのか」と、遠隔地で地震、津波以後の数日間を過ごされた多くの人たちの思いは、確実に被災地の人たちに届くという信念を持ち続けることの大切さを感じさせて貰っています。

私は95年の阪神・淡路大震災のとき、前年夏にそれまで19年近く担当したローカルニュースのキャスターを降り、夏からのNY支局勤務を控えて準備をしながら勤務していました。95年当時と現在とではネット環境も全く違い、ツイッターやFaceBookなどのミドルメディアの台頭により、情報が瞬時に地球上を駆け巡るという大きな変化があります。

今回の「国難」といわれる事態に、大震災発生後も「心ないデマ」、「誹謗中傷」などがむき出しの情報として多くの人の目に触れ、更に傷つけるという連鎖があちこちでみられました。

しかし、例えばツイッターなどで「拡散」した、そういった情報の洪水の中にも「善意」から出たものが多くあり、それを声高に非難したり、反論したりということの無意味さは、日が経つにつれ発信した人のなかの悔いとして残るかもしれません。

善意の連鎖を呼び掛けた人たちに、その情報の正しさをきちんと調べ、確かな情報を届けるのがメディアに課せられた使命だと思います。多種多様な伝達手段があるからこそ、一瞬にして多くの人たちに届くマスメディアの「今、巷に流布している情報の確かさを確認する」使命と、生の叫び声だからこそ「何かできることはないか」と様々な動きをしてくれる善意の人たち…。

今回、あまりに甚大な被害を前に、遠隔地の行政として立ちすくむだけではなく、できることは何かを一つずつ検証させてもらい、対応をし続けています。こうした動きが報道されることによって、救援を待つ現地の人たちに「応援に行くよ」というメッセージになるとともに、他の自治体も必ず同じ動きをしてくれているという信じる心がありました。

もう一つ、こうした新しいメディアに接触することができない人たち、いわゆるメディア弱者への心配りを忘れてはならないとも思います。

今日、ブログを更新するに当たり、私の特別顧問をして頂いている神戸女学院大学内田樹教授のブログ「未曾有の災害のときに」のURLを貼り付けます。先生は神戸の震災を経験され、それをもとに「寛容」、「臨機応変」、「専門家への委託」を提言されています。
http://blog.tatsuru.com/2011/03/13_1020.php

私が考える大都市の姿とは

前回のブログで「これからの大阪・関西の繁栄と市民の幸せのために、大都市のあり方はどういう方向にあるべきかについて、このブログで私の考えを書いていこうと思います」と書きました。

今日はまず、私のビジョンの方向や考え方を、2月22日市会の代表質問が終わったのを機に書かせてもらいます。

<私が考える大都市の姿>

市民の暮らしや福祉のためにも、大阪や関西全体の繁栄・発展のためにも、成長戦略が重要であることは言うまでもありません。関西全体の成長・発展に貢献するために大阪市が何をすべきなのか。

それを目指す産業経済政策の基本戦略ともいえる、*「大阪・関西の発展に向けて~大阪市経済成長戦略~」を発表しました。現在の日本の社会経済状況を踏まえた上で、大阪・関西の優位性を活かしながら、オール関西の視点で企業や経済団体などと方向性を共有しながら取り組むためにつくったものです。

経済界でも既に議論になっていますが、世界の都市間競争は、都市単独ではなく、複数の「都市」で構成される都市圏(*メガリージョンと言われるものです)の競争の時代となっています。

そういう意味で、関西という地域は、大阪だけではなく京都、神戸など、個性豊かな大都市が集まって、歴史的に多核型の「都市圏」を形成しています。経済面だけでなく文化・生活面においても世界有数の魅力的な地域を形成していることが特徴です。

こうした感覚は、住んでいると「まぁ、こんなもんや」と取り立てていうことではないと感じておられるのではないでしょうか。ところが、市長になってから、在阪の外国人ビジネスマンや、領事館関係者と「大阪」をどう見るかについて話し合う機会を持つ度に、「関西人」にとって当り前のことが、外国の方からみると違って見えることに気づかされました。

特に大阪について、「初めて」という方は、異口同音に「こんなに人の優しさや、ロケーションの恵まれた場所だとは思わなかった」と言われます。我々には「普通」のことなのですが…。
先月、英国の雑誌「エコノミスト」で世界で最も住みやすい都市ランキングが発表されたのをみて、なおさらその感を強くしました。大阪市は世界140都市のうち12位、アジアではトップ(つまり当然日本で1位)に位置付けられています。

大阪市の規模だとか面積だけを問題とするのではなく、むしろこうしたその都市の「特性」を活かしてこそ、関西圏の発展に繋がると考えることが普通であり、当り前だと思います。そしてこの関西の各政令市がエンジンとしての役割を担っていくべきだと考え、平成20年の夏から京阪神堺の4市で市長会議を始めています。

一方で、最近「広域行政」という言葉をよく耳にします。

この「広域」という概念は、人やものの動きの変化に合わせてどんどん広がっていて、今や府県域を超えて関西という視野で議論されています。

昨年12月には関西の2府5県が集まり、広域的な行政課題に取り組むため関西広域連合が日本で初めて設立されました。大阪市をはじめ4政令市も今後参加していくことを表明しています。

関西の将来像を議論する中で、府県の仕事は、より広域の補完・調整に限定・転換されていくのではないでしょうか。そして現在の府県が将来的に「関西州」に一本化されていくのは当然の流れだと思います。

勿論、すぐにはそんな時代はやって来ないでしょう。
しかし中長期的な視野で考えた場合、私は府県境を意識するよりも、各都市の連携によって、「広域的な成長」に繋げることができるだろうし、実際の取り組みも目に見える形で早く進むと思います。

そうした観点から大阪市を権限・財源面でいかに自立した都市とするか、そして、他都市といかに連携するかということに力を注ぎ、取り組みを進めています。

23年度予算案では、市民の力で築き上げてきた都市の総合力、つまり文化・芸術・人材・環境・安心・ホスピタリティといった様々なものでできているこの大阪市の都市格を、香り高い文化都市として発展させて未来に繋げていく施策を盛り込んでいます。

また都市連携を重視し、具体的に動いている大阪府内の全市町村と連携した「救急安心センター(#7119)」の運営、海外からの観光客を意識した「関西メガセール」を関西各都市で実施するプラン、政令市や各市商工会議所と共同で設ける「関西観光戦略会議」などを掲げています。

住民自治に立脚した自立した都市にする、そして大阪市の特性を活かしながら成長を目指すことこそが、人々の暮らしも地域の魅力も関西圏の発展も支えるというのが、私が考える大都市大阪の姿です。

以下資料などのリンクです。
*「大阪・関西の発展に向けて~大阪市経済成長戦略~」の資料はhttp://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/page/0000107398.html
にあります。

*関西経済連合会の報告書(「関西クリエイティブ・メガリージョン構想」2009.2)では都市圏のタイプを5つに分類しており、関西は「複数の都市がネットワークされた多核型都市圏」 である「EUタイプ」としています。

「大阪維新の会」橋下代表からのツイッター上での議論提起について

「維新の会 橋下代表」がツイッター上において、「統一地方選までの期間限定」という前提で、おびただしい量の「呟き」を書き続けておられます。また「橋下代表」から、様々な質問の山がツイッターを通じて私に投げかけられています。さらに、それに答えようとしない私に対して多くの批判がツイッター上で浴びせられているのも勿論、知っています。

当初は維新の会の賛同者からの「批判意見」だとして反応しないとしていましたが、ツイッター独特の「140字」の世界として、面白がって乗るような形で多くの方たちも参加されているのではないかと、危惧も感じています。

そういった、危険とも思える風潮を助長させることは私の本意ではありません。そのためにも、改めて私の考えをこの場で述べておこうと思います。

橋下代表からフォローされた際に最初に呟きましたように、しっかりとした議論を行うには「140字」に限られるツイッターというツールでは不向きであること、そして知事・市長という立場での建設的なお話はさせて頂きたいという、考えに変わりはなく、したがって今後、「橋下代表」の呟きに対しての私の考えは、このブログ上で述べていきたいと思っています。

140字」に比べてはるかに長い文章になりますが、「橋下代表」のツイートに慣れておられる方であれば、読んで頂けると思い書いていきます。

まず、皆さんは「大阪府知事」という公職にある「橋下知事」が、その「府知事」の立場でツイッター上で私に質問されていると考えられているのではありませんか。

ところがプロフィールを見ても、アカウントネームでも明らかなように、この呟きは「大阪維新の会 代表」つまり、地域政治グループの「橋下代表」としての呟きに他なりません。
そんなこと、「大したことやないやん」と思われるかもしれませんが、この間、「代表」としての発言なのか「知事」としての発言なのか判然としない発言が、主にマスコミを通じて流れており、その発言の責任所在に混乱を生じています。
多くの方が、私が「橋下知事」の問いかけを無視し続けていると「錯覚されていませんか」ということを、まず申し上げたいと思います。

私は「大阪都構想」が本当に大阪府全体の改革を目指すものであるならば、「知事」という要職にある「橋下知事」がその突破力を活かして、まず大阪府議会できちんとした議論がなされる必要があると思います。

そのうえで大阪府知事として大阪市長と正式に議論を行いたいとおっしゃるべきだと考えています。それで初めて、お互いが責任をある立場として議論ができるのではないかと考えています。

未だに府議会ではその議論がきちんとされていません。いまや最大会派を率いる「代表」としても、また「知事」としても、府の自治制度研究会が提案されたいくつかの大都市制度について、議会と真摯に議論を行う必要がある時期に来ていると思います。

それが首長の責任ですし、議会制度の壁で実現できないからと、選挙で過半数をとって二元代表制の下でも自分が思うようにやるんだという手法は、やはり間違いではないかと思います。

ましてや、そのことを目標とした一政治団体の選挙運動に、そして、その団体の代表の政治活動に大阪市長が巻き込まれないようお断り申し上げるのは当たり前ではないでしょうか。

私はそういう理由で「橋下代表」との対談をお断りしています。

なお、維新の会の「橋下代表」の手法については危惧を感じていますので一言申し上げます。

当初、福島補選、生野補選で示された「都構想」なるものと、最近の「大阪維新の会」のHPなどで示されている見解に、かなりのずれが見られると感じるのは私だけではないと思います。

特に最近は「都構想」=「区の独立、区長公選制」ということにのみ重点が置かれているように感じます。

その一方で当初「維新の会」に入られた市会議員がHPで掲げられていた区割り案(現在は見当たりませんし、選挙までに具体提案もされないと断言しているようですが)で、将来的に影響を受ける大阪市、堺市を始めとする隣接都市にはどう影響があるのかなど、市民の生活を預かる立場として看過できない問題点については、すべて先送りです。

これはもう、「責任放棄」と指摘するしかありません。
自治体の制度論のように長期にわたり市民生活に非常に大きな影響を与える課題は、さまざまな方の意見をお聞きし、議論を深めていくべきものだと思います。

「都構想」が市民にとってどんなメリット、デメリットがあるのかというのは、重要な論点だと思うのですが、最近は政治家は方針を示すだけで、統一地方選挙で信任を得られれば、府市の役人を使って詳細な案を作成し、住民投票にかけるとおっしゃっています。

方針さえも具体的に示されたと言えない中で、住民投票を担保に「大阪都」に白紙委任を求めるような発言は無責任と言わざるをえません。
ただ、大都市のあり方や自治のあり方について、多くの方の関心を喚起させたことは、テレビや新聞といったメディア上での「橋下徹さん」の功績であり、「小泉劇場」ならぬ「橋下劇場」の面目躍如だとは思います。

この大阪を「どうすれば元気にしていけるか」というのは、「橋下知事」と大阪市長である私の共通の課題です。府と市でお互いに力を削ぐようなことや無駄なことはすべきではないというのも、共通の認識だと思います。

これからの大阪、関西の繁栄と市民の幸せのために、大都市のあり方はどういう方向にあるべきかについて、このブログで私の考えを書いていこうと思います。

当然、「大阪維新の会」が主張されている「都構想」をどう見るべきかについても触れようと思っています。

以上

なお、市長になってから3年の思いや、最近のメディアの風潮などにも触れたルポが「現代ビジネス」に連載されました。まだ、お読み頂いてない方は是非ご一読頂きたくリンクを貼ります。

第1回「ワンフレーズ政治」「わかりやすい政治」からそろそろ卒業してみませんか
第2回「わかりやすさは危険なんです」 アナウンサー出身市長が明かす「言葉へのこだわり」
第3回「見出しが立たない」市長が語るメディアの劣化とtwitterの発信力
第4回「選挙で勝ったら何でも自由にできる」というのは民主主義ではない
第5回「生活保護急増」と闘う市長が「大阪都構想」を論破する

「NEWSゆう+」朝日放送12月15日放送の「どく断度」研究2



さて、今日は「NEWSゆう+」の「堀江のどく断!」コーナー1215日放送分の検証その2をアップさせて頂きます。
前回、去年の1230日には「アナウンサーを卒業せよ」というサブタイトルとその編集について、実際の取材内容を私ども大阪市の録音から文字起こししたものを比較する形でアップしました。
今回は私が関西州というものに対して「漠然としたイメージを持っている」と語った部分の比較です。


なお、第一回は http://kuniohiramatsuosaka.blogspot.com/2010/12/news1215.html にあります。



≪ナレーション≫
では、関西州実現までの道のりは?
県を合併し、州を設立するには、憲法改正など難問も予想される。前回、橋下知事は、都構想実現までのスパンを「5年程度」と話したが。

堀江キャスター
いつごろまでにこれをやろうという計画なんでしょうか。

平松市長
はい、あ、それは都構想が5年でできるっていうふうに、橋下さんがおっしゃっているスケジュール感ですか?

堀江キャスター
ええ。それよりもなんか、道のりとしては、いろいろ遠いのかなあと。

平松市長
いや、遠いっていうんじゃなくて、実質を先に出していくという部分で言うと、むしろ我々がその水平連携をやれる部分のほうが動きとしてはみえやすい動きにつながると思ってます。

≪ナレーション≫【救急安心センターの活動イメージ映像】
「先に大風呂敷を広げるのではなく、例えば救急分野のように、市町村間連携を深めていけば、おのずと実現へつながる」と市長は言う。だが・・・。

平松市長
これを大阪市が、全部これをやるという話ではないんです。ですから、こういうふうな手続きがいるのかもしれません。しかし、その、関西州自体がどういうものかっていうものも、今、明確な規定はないんですよ。

堀江キャスター
そうですね。

平松市長
府県域を全部つぶしてしまうのか、ひとつのものにするのか。私の場合は漠然としたイメージを持ってます。

≪ナレーション≫
市長の口から出た「漠然」という言葉。未来の大阪はこうあるべき、という明確な発言は無かった。



いろいろなやりとりの中で「漠然」という言葉をつかった私がいけなかったのかもしれませんが、このやりとりの実際はどうだったのかという部分をご覧いただきます。インタビューのままの文字起こしですから、当然放送の流れとは違います。

なお、放送で使われた部分は文中で色分けし、放送の流れとしては青字緑字赤字の順となっています。


堀江キャスター 
その辺がきっかけかなあと。一方で、あのね、さっき、知事が、ああいう都構想、実はあまり出てこないということで、それに対抗するんではなくてっていうふうなことをおっしゃっているんですが、これは出されましたよね、地域主権確立宣言っていう。

市長 
はい。

堀江キャスター 
で、これはあの、市長の名前ということなんですけれども、あの、市長が考えたんですか。

市長 
はい。私が思うことを、というのは、私一人が、例えば、地方分権であるとか専門的に研究している職員がいっぱいいるわけですから、そういったそのあらゆる知恵を集めてくる中で、一番の基本というのはね、これの基本というのは、これ大げさに書いてますけど、住民自治とはなんだ、あるいは地方分権が進んでくる中での地域主権における自治体のあり様っていうのはなんだっていう部分を書いただけのことなんですよね。

堀江キャスター 
ただ、その先にめざすものとして、関西州の実現というものがありますよね。

市長 
はい。というのは、なぜ地方分権の議論が、この間、何十年もなされているのかっていうのは、やはりあの廃藩置県後、確定してしまっている都道府県自体の、都はまあ別にしまして、道府県、府県自体のその機能っていうものが、果たして今の大きさで、今の形でいいのかっていう部分が一番問われたからこそ、平成の大合併になったわけですね。

堀江キャスター 
ああ、まあそうですね。

市長 
で、なおかつ、地方分権というものが進もうという動きになって、その基本にあるのはやっぱりどう考えても、その住民自治という部分ですよね。

堀江キャスター
はい。で、その住民自治を進めていく上で、関西州というかたちになってくると、逆に大阪府というもののほうが必要ないという、こういうふうな考え。

市長
はい、そうですね。

堀江キャスター
でいいわけですね。で、そこは橋下さんと大きく違って・・・

市長
橋下さんも「府はいらん言うて」。

堀江キャスター
府はいらんと…。まあ、橋下さんは「都にしよう」ということで。

市長
同じなんですけどね。

堀江キャスター
都は無いと、都もいらないと

市長
都もいらない。はい。

堀江キャスター そうすると、これ(関西州実現までの予想工程を書いたフリップ)をつくってみたんですけど、関西州を実現しようと思うとですね、府県の合併というのが必要になってくると、いう風になりますと、それぞれの議会で議決され国会でも承認されて閣議決定というものが当然必要になってくると。で、ここまで行って合併したとしても、するという方向になったとしても、じゃあ隣はどうするんだ、関西州だけできたとしても、他の州はどうするんだ、ということもある。それぞれの州で法律を作っていこうということになると、憲法改正ぐらいのところまで必要なのかなと、そこまでやって州にたどりつくというふうに思うんですが。こんな感じの。


市長
あのね、地域主権確立にむけての宣言なんですけど、これを大阪市が全部これをやるという話ではないんです。ですから、こういうふうな手続きがいるのかもしれません。しかし、その関西州自体がどういうものかっていうものも、今、明確な規定はないんですよ。

堀江キャスター
そうですね。

市長
つまり都道府県、今の府県、この中の府県域を全部つぶしてしまうのか、ひとつのものにするのか、また別の方の意見では、別に関西州という広域連合もこないだ出来ましたけど、関西州というものであって、その線が残っていてもかまわないというゆるい連合だってありえる。こういう考え方もされる。

堀江キャスター
関西州の中に府県が存在してもいいじゃないかと。

市長
ですから、府県の機能というものをどれだけお互いに融通し合えるかによって、存在、今のはっきりした県境みたいなものの存在自体が薄まってくるであろう、というようなイメージ。私の場合は漠然としたイメージを持ってます。で、その地域主権確立にむけての宣言を出させていただいたのは、あの、地方分権という流れの中で一番の問題点は府県が相変わらず許認可行政という形でしっかりしたものを握っている。ところが政令市というものは、ご存知のように昭和31年に出来たんですけど、大都市制度というものをなんとか国に認めて欲しいと言っていたものを封じ込められた中で中途半端な解決策として政令市というものが60年続いてしまった。で、おそらく地方分権の大きな流れと政令市が持ってる根本的な矛盾みたいなものが、今、こういう形で噴き出しているんだろうとは思いますね。しかし関西州実現に向けての道のりと、実現までの道のりと。この、先ほどの。これを大阪市がどうこうするという話ではない。

堀江キャスター
でも、一緒にじゃあやろうということで、例えば、その二条城宣言というものが一方できたりして…。

市長
これは、ですから、あの、今回、あの関西広域連合というものができましたよね、で関西広域連合ができて関西広域連合の中にまだ我々がオブザーバーとしてしか入っておりません。でこの間私市長なってから神戸・京都・大阪・堺4政令市が、やはりこの関西圏の核となるべきであると、こういう思いを持っているので4政令市長でいろいろと話合いを続けています。これは年明けにもまた既にスケジュール入れてるんですけども。

堀江キャスター
この関西州を、ざっくりとですけれども、こういうことにしていこうとあるとそっちの方が都構想よりメリットがあるというふうにお考え。

市長
はい。

堀江キャスター
で、じゃあいつごろまでにこれをやろうという計画なんでしょうか。

市長
はい、あ、それは都構想が5年でできるというふうに、橋下さんがおっしゃっているスケジュール感ですか。

堀江キャスター
そうそうそう。ええ。それよりもなんか、道のりとしてはいろいろ遠いのかなあと。

市長
いや、遠いっていうんじゃなくて、実質を先に出していくという部分で言うと、むしろ我々が水平連携をやれる部分の方が動きとしてはみえやすい動きにつながると思ってます。というのが、じゃあ今、大阪市民にね、大阪府が何を市民のためにやってくれていると思いますかって聞いたときに何が返ってくるでしょうね。例えば、じゃあ、神戸市民と兵庫県民ということをといいますとね、これは震災を機に県と市の連携関係がかなりあの震災復興をめぐってしっかりとしたものになってます。

以上です。

この文章を編集しながら、我ながら言葉が長いなぁと反省もしましたが、前回のブログでも書きましたように、このインタビューを巡っては、朝日放送側と市役所側との認識の違いがあり、事前に私が知らされていた内容ではなかったことから、ここでは取り上げませんでしたが「○○○○構想」というフリップへの書き込みに時間をかけざるをえなかった件も、あっさりと私が書きこんだようになっています。それもここへ書きこもうと思いましたが、余りにも長くなるので、省きました。

ご紹介した放送部分以降に「大阪都構想」に対して即断で「反大阪市分割構想」と書いたかのように紹介されている部分があり、それに対して堀江キャスター以外のスタジオは、当然「期待外れ」という反応になっていました。

いずれにしても、大阪都というものを「完成目前」という捉え方をされる「どく断度」ですから、何をいってもダメだったのだろうという印象さえ浮かびます。一方で私のメディアに対する思いというものを紹介し、それを受け止めなければという発言もされていましたし、また前回の後半に引用したように「卒業せよ!」というニュアンスを弱めようとされた堀江さんのコメントもあったのも事実です。とはいえ、具体像の見えない「大阪都」というものを完成目前という認識で捉えられるセンスが「どく断!」ならではということなのでしょうかというのが私の「ドクダン」です。