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2010年4月27日(火) 平松事務所の所長逝く


元気メッセージというタイトルには全くそぐわず、しかも、私事に近いことを書かせていただくことを許していただきたいと思います。

平松事務所の高本正大所長が4月24日の午前、ガンの為亡くなりました。家族、近親者のみで26日にお別れの会が開かれ、故人の「無宗教で送って欲しい」という希望に添い、奥様が選んだ生前の高本氏を彷彿とさせる写真をモニター画面でのスライド形式で見ていただきながらの献花で、親しかった人たちに見守られながら63歳の人生のお別れ会でした。

私が市長選挙に出ることになったそもそものきっかけを作ってくれた(市長選を振り返った本「勝ってもうた」34ページに彼との出会いが書かれています)高本氏だけに、遺影を見ながら30年近くにわたる彼との付き合いを思い出さずにはいられませんでした。

今年の初めに母を送った時も、彼が何かと段取りをつけてくれ、諸事滞りなく済ませてくれましたが、その時には彼も気付かないうちに病魔が体を蝕んでいたのでしょう。発見が遅れ、精密検査の結果、手の施しようがない状態であるという最終診断が下ったのが3月初旬、それからの病室での彼は、医師も驚くほどの精神力で病と正対して、事務所のことなどを気にかけてくれていました。

もし、これを読まれて、彼をご存じの方がおられましたら、海が大好きで、賑やかなことが大好きで、若い時にはかなりやんちゃなこともし、それでも平松事務所所長として私のことを懸命に守ってくれた彼の冥福を祈っていただきたいと思い、しばらくご無沙汰していたこのブログを書いています。

大阪市長として一時の停滞も許されない市政改革と財政再建という大きな荷物を背負うことを承知で立候補、当選以来2年4か月以上走ってきましたが、その陰には様々な人々を紹介してくれ、また、彼の経験からくるセンサーで微妙なやり取りなどもきちんとこなしてくれていた所長がいました。

彼が亡くなる二日前に病室で「市長、お別れの会ではいつもカラオケに行ったときに最後に歌っていた「マイ・ウェイ」を弔辞の後で歌って下さい」と言われたときに「あほなこと言わんといて。そんなん歌えるかいな」といったものの、いつか彼を思い出しながら歌う日があると思っています。

そもそも知り合ったきっかけが、小さなカラオケスナックで知らない同士で笑いながらマイクの取り合いに近いことをしたことが、ここまでの付き合いになるとは…。

そして、彼と飲みに行ったときには、そろそろ帰らないとという時間になると、いつも「ではいつもの『止め焼香』に参りましょう」と促され、興が乗った時には披露させていただいていました。私が覚えている「マイ・ウェイ」は岩谷時子さんの訳詞といわれているもので、カラオケで画面に出てくる歌詞「今、船出が近づく~」とは全く違います。昔、鳳蘭さんから歩きながら教わった歌詞で、間違って覚えている可能性もあります(岩谷さんお許しください)が、その歌詞を紹介させていただいて、お別れの会で歌えなかった彼への詫びにしたいと思います。

  やがて私もこの世を去るだろう
  長い歳月(としつき) 私はしあわせに
  この旅路を今日まで生きてきた いつも私のやり方で

  心残りも少しはあるけれど
  人がしなければならないことならば
  できる限りの力を出してきた いつも私のやり方で

  あなたも見てきた 私がしたことを
  嵐もおそれずひたすら歩いた いつも私のやり方で

  人を愛して悩んだこともある
  若い時には激しい恋もした
  だけど私は一度もしていない ただひきょうなまねだけは

  ひとはみないつかは この世を去るだろう
  誰でも自由な心で暮らそう 私は私の道を行く

  合掌。