「1・28教育基本条例に反対するシンポジウム」へのアピール

1月28日に守口市で開催された「教育基本条例に反対するシンポジウム」に、前大阪市長として、私のメッセージを送りました。久々のブログはそのメッセージを掲載します。



教育基本条例に反対するシンポジウムに参加されたみなさんに、開催趣旨に賛同する立場からアピールさせて頂きます。

 条例案(といっても修正案が出るらしいのですが)の逐条課題については専門家の分析に委ねるとしても、この条例に対して少なからぬ賛意(平成23年11月日付朝日新聞 教育基本条例に対する調査結果:賛成48%、反対26%)が寄せられる現状を不思議に思うと同時に、大きな不安に駆られます。そしてこの条例案は、教育する側を力で管理しようという「統治」の感覚で作られています。それがどうして教育の「基本」になる条例なのか、理解に苦しみます。

 子どもたちの多様性を認めないことを強いる社会を私たちは望んでいるのでしょうか。どう花開くか分からない個々の才能を無視し、時の為政者の鋳型に嵌めることを許していいのでしょうか。市長時代に特別顧問をお願いした内田樹さんが、学校の目的は「集団を支える成熟したメンバーを再生産する」こと、要するに「大人を作り出す」ことであると言われています。

 また、生活保護受給世帯が日本一多い大阪の現状では、義務教育に入る前に既に歴然とした格差の下で育っている子どもたちが数多くいます。公共がなすべき役割は、そうした社会状況であっても、次代を担うメンバーを確実に再生産する為の最善の方法を探ることであり、命令に素直に従うだけの教師を増産することではない筈です。

 目指すべき姿として「愛国心にあふれた人材」「世界標準で競争力の高い人材」の育成を図るとしていますが、このフレーズに込められた狙いは何なのか。地域間格差の存在や、それを細かく分析しながら、何とか「市民社会の担い手」として世に送り出そうという苦労などは一顧だにされていないように見えます。既に存在する格差を更に助長する為に「公教育」があるとは到底思えません。こうした教育を進めると、一部の優等生は別として、大半の児童・生徒は教育から見放され、子供の間の格差は一気に広がります。そして、格差拡大はいずれ今以上の大きな社会問題に発展することは明白です。

 去年の3月11日に起きた東日本大震災、原発事故を受けたこの国が、何を依りどころにして新たな社会を築こうとするのか。その為にはこどもたちにとってどういう教育が必要なのかを真剣に考えているとはとても思えません。「統治・強制」による格差拡大の教育なのか、「自主・闊達」による格差解消の教育なのか。「教育は誰のためにあるのか」という基本に立ち返り、「本来あるべき教育」を守るために、皆さんのお力を借りながら私自身も精一杯がんばってまいりたいと思います。


以上です。
なお、文中に紹介した内田樹さんのブログは平成23年8月22日付けのものです。
http://blog.tatsuru.com/2011/08/22_1258.php
これ以外にも内田先生は11月1日に教育基本条例再論(しつこいけど)と題して書かれています。
http://blog.tatsuru.com/2011/11/01_1740.php