劣化

政治の劣化、メディアの劣化が言われて久しい。メディアに居た人間でありながら、取材される側にたったことから余計にメディアの劣化に敏感になっているのかも知れない。市長在任中も含めてこの数年間、その思いは日々膨らむような残念な思いの積み重ねである

最近、政治向きのことを書いていないなぁと思いつつ、その理由を探すと「ばからしい」ほど単純な話を、さも「熟慮」しているかのように表現し、伝え、それでメディアの役割を果たしたとでも思っている向きが多いのではないかという気がするのでその1回目。

「日本を取り戻す」のは日本の良さ、この国の歴史、伝統、地理的特性などなどを長期的視野からとらえ、これから先の世代にどういう国として伝え、先人の知恵があったからこそ、この国があると思ってもらえるのかという状態に戻すことではないのか。

その1)
身近な例ではやはり大阪市。職員の中でも市長、副市長という特別職に次ぐ...
報酬を受けている「公募区長」の資質の問題。私は「アホか」発言や酔った上での発言時点で、なぜこんな人がと思ったが、今回の議長問責問題空転錯覚呟きでは、とうとう「公募」と「公選」の区別すらつかない人であることがわかった。噂によれば釈明の為呼び出された委員会に「(区の)腕章」をつけて入ろうとして議会の事務局から止められ、半ギレ状態でわめいた声が委員会室に届いたとか…。

もうおやめになったら…そんな思いと同時に私は淀川区民でなくて良かったという思い。役所生え抜きの職員がこんな区長になったらと思うとぞっとする。

いや、他にいい部分があるから…今回は大目に…そういうとりなしの意見があるのかどうかも知らない。「他にいい部分があったとしても、区長という重職には向かない」とはっきり判断して、他部署への転属を考えてはどうかと思っても、「公募区長」という資格審査に通っているので配置転換できないのかも。

普通に考えると「辞任して当然」という当たり前のことが、「熟慮」しなければならない世の中って何?

「いさぎよい」:思い切りがよい。未練がましくない。また、さっぱりとしていて小気味がよい。「―・く身を引く」「―・く戦う」。道に反するところがない。潔白である(デジタル大辞典)

さぁ、それに対して「任命責任者」はどう答えたか。「かくかくしかじか」と答えましたとしか伝えない報道って、伝声管でしかないというのは随分昔にブログに書いた。本来は権力と喧嘩してでも「筋」を通すのでは。大声で「ばかもの!」と叱りつけるようなメディアはなくなりましたね。

右もバッシング、左もバッシング、ならうちもバッシング。右は黙殺、左も黙殺……。
さぁ、2回目をかける気力が残っているかな。書く気になればアップしましょう。