今こそ冷静に…なれと言われても…でも本当です。

ちょっと脱線気味のところもありますが、解散後の様々な動きについて、午前中に呟きました。

こんにちは。案の定、選挙一色の報道になりましたね。ギャグだと思ったと先日つぶやいた「太陽の党」は秋の陽よりも早く、つるべ落とし状態で日本維新に合流。でも、ネットでの批判的な意見と同時に、ムードに流されないような選択をとマスコミの論調も微妙に変わっている感じはあります。

そのマスコミの論調ですが、そもそも「第三極」のムーブメントを見出しとして欲しがったのはマスコミであり、絶えず批判を続けてきた自民党に代わる政党として民主党をもち上げた3年前の報道。更には支持率調査でジェットコースター政治を面白がった流れが今回は冷静かどうか。これも見極めないと。

何といっても去年の3.11以降。この国が直面していた少子高齢化社会と格差の拡大状況がより一層鮮明になっているにも拘らず、震災、津波、原発事故にどう取り組むのかを大きな方向性で明らかにしなければ「分かち合いの社会」を築くことなどできないでしょうね。

テレビのインタビューで「どこへ投票していいか分からない」という声が...
流れるにつけ、それに頷くだけでなく、「絶対間違いない候補」が見当たらなくとも、よりましな「候補」を選ぶことでこの国の方向性に意見表明ができるという日であることには間違いありません。棄権だけは避けましょうね。

ちなみに、「野合」批判という点では去年の大阪市長選挙で自民、民主の推薦と共産党の自主路線で応援を貰った私ですが、基本理念は「市民と共に」であり、その一点で4年の動きを見て、よりマシだと思われ、応援してもらったと思っています。それを「野合」だと大声で批判した人たちです。

最近も区割り案などが出ながら、過去の合区と同じ感覚の記事が出、「大阪市」として一体だからできたことを大阪府(都)が同じようにできるはずはないという当たり前のことを言い続けても届きませんでした。特に「維新の会」の市会議員は「大阪市」を潰すための存在です。

まだ、新人は一年半しか過ぎてませんが、「維新の会」の市会議員が大阪市を良くしてくれた実例を是非教えて頂きたい。特に自民党を離脱して維新になだれ込んだ人たちはベテラン議員の方もいたはず。何が良くなりましたか?市民にとって話し合いの場を多く作れましたか?地方分権の姿は見えましたか?

そんな人たちが新たな野合を企てる党首の下で幻想をふりまきながら、国政に足をかけようとしている。登る太陽ではなく、沈む傾いた太陽と共に。 冷静に、この国の政治を変えるには一度の選挙では無理。それを性急に変えようという主張は、ここまで病んでしまった国の力を削ぐ方向にしか働かない。

石原さんは本当に有名な方で、その人が代表になった。代表代行は今や飛ぶ鳥を落とす勢いの未来の頼朝だそう。…で、石原さんの実績って何?’73年に「青嵐会」のリーダーとして政策集団を率いたのが40年ほどまえ。そのころと変わっていないとすれば、40年かけて出来なかった証明?

解散当日のテレビインタビューで日本維新の会の松野議員団長が、現市長、(代表代行、他にも肩書あるんでしょうね)の手腕を評価。「二重行政の打破のために協力しようと持ちかけたが市長に反対されて、改革のために市長になった」というインタビューを見た。反対したのは当然私ということになる。

思わず、椅子からずり落ちた。松野さんって大阪府、市の二重行政のどこが問題だと指摘されたのか恐らく知らずに言っている。前知事肝入りの大阪府の調査会最終報告ぐらいは読めばいいのに。「統合本部」などではなく、「府」と「市」の協議会でやることが第一歩と書いてあるんだけど。

そして、そんなインタビューが流れると、多くの「二重」は無駄だという刷り込みをされた方たちが「やっぱり二重だったんだ。改革できてない」と新たな思いこみ。地方分権のニアイズベターの精神は殆どが府県から政令市へ財源と権限を渡せばすむ問題。二重が無駄なら「五重の塔」はどうなんねん。

あかん、関西人だからついウケを狙って滑ってしまう。現在ある道州制論議というのもある意味、現在の3重構造を4重構造にするとか、あるいは都制ができてしまえば、極端な話「五重の塔」的に新たな権力構造を生み出す可能性すらある。それを力でねじ伏せるだけのリーダーが必要という流れ…おぉ怖!

12月4日公示の16日投票。なら、公共政策ラボのシンポジウム「いま、日本、なぜ ポストグローバル社会と日本の未来」 http://ticket.pia.jp/pia/ticketInformation.do?eventCd=1250943&rlsCd=001 は公示前日。当然出席の方々の熱いトークも選挙を避けては語れないだろう。チラシは bit.ly/UnGiZb

大阪市民の方で、具体的に大阪維新の会の市会議員の活動について、良くやっている、頑張っているというのを是非お教え下さい。勿論反対の証言でも結構です。代表の姿しか見えないのです。

歴史の空間で遊びましょうよ!

今日、国立文楽劇場で仮名手本忠臣蔵の夜の部をみますが、私が如何に古典芸能に知識がなかったのかも含め連続ツイートをまとめます。お恥ずかしい部分もありますが…どうぞ。

仮名手本忠臣蔵を見るにあたって、歌舞伎も見ていない私にとって、色々な「発見」がありました。子供の頃、銭湯の映画ポスターで「オールスター、総天然色」という文字が踊り、大スターの競演定番だった「忠臣蔵」。これとは違うということを、恥ずかしながら具体的に知ることになりました。

橋本治さんの「浄瑠璃を読もう」の最初が仮名手本忠臣蔵。その書き出しで、題材は赤穂浪士の討入であるが、史実は元禄14年(1701年)の「刃傷松の廊下」。しかし、寛延元年(1748年)初演の仮名手本…では舞台を暦応元年(1338年)の太平記の時代に移して上演されたこと。初演は大阪(当時は大坂といった筈とご指摘あり)。

なぜそうしたのかについて、橋本治さんは「幕
府が現実の事件をそのままドラマ化するのを嫌ったという事情もあるが、それ以前に浄瑠璃は自分たちの知っていることをそのままドラマにしないという性質を持っている」と続け、太平記に仮託した赤穂浪士のドラマではない。ただ、「仮名手本忠臣蔵」というドラマなのである。(「浄瑠璃を読もう」12頁)

江戸時代の庶民の芸能として大人気を博し、三業の切磋琢磨の中で培われてきた人形浄瑠璃文楽を、今の時代にどう見るかといった、面倒なことを考えるより、大阪という土地柄が育ててきた地味を楽しむ。

歴史の空間に漂う思いで「浸かればいい」。そういう指南をしてくれている本(浄瑠璃を読もう)だと感じています。国立文楽劇場は「文楽」だけを楽しむには確かに客席が広すぎるという難点はあるでしょうが、すでにあるものをどう楽しむかと想いを巡らすのもまた一興。楽しんできます。

以上です。

大阪市民…無くなるかも…


例によって今朝の呟きから:区割り案を報じる記事がきっかけでした。

読売の記事です:橋下市長が「尊重しないといけない。大胆な案だ」とお墨付きを与えたPT案に、区長らが「待った」をかけた形で、地域の利害がぶつかり合う区割りの難しさが浮き彫りになった。 http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121106-OYO1T00323.htm … この記事に抜けているのは「大阪市」をなくす為の区割り。

区長PTで進められている区割りの再編が、以前大阪市であった、「分区」や「合区」と同じ論調になっているのが不思議。夏成立の特例法案「第一条:この法律は、道府県の区域内において関係市町村を廃止し、特別区を設ける」=つまり、大阪市の廃市に直結する動きであることをなぜ大々的に報じない?

先日明らかになった5つか7つへの区割り案、4種類とありますが、これは恐らく、元々4つどころではなく、18種類ほどあるものの中から、比較的「飲みにくい」ものを先だしし、それなら「こんなん出ましたけど」という別案の方が優れていると「仮装の利益」という手法の一つかと。

区割り案=現在の大阪市が「廃市」になるんだということ。市全体で持っていた市民の税金をつぎ込んできた資産は「大阪府」が「都」に名前を変え、好きなように処分、自らの「負の遺産」解消に役立てようという形にしか見えない。いくらきれいごとをいっても、この間借金が増えているのは大阪府。

「大阪市は潰しません」去年の市長選挙の際に撒かれた大阪維新の会のビラ。確か「法定ビラ」だったと記憶。そして、与野党がにじり寄ってできた法律案には第1条に「市町村を廃止する」とある。大阪市民はこのことを知って、依然「都」がいいと判断する? pic.twitter.com/O0kjVx9k

私が呟いた内容に絡んでくる方の中にも、冷静にご意見を述べられる方もいる。でも、大阪市として一体だったからできた都市インフラなどが、市がなくなることによってどこに帰属し、そこから上がる税収が誰のために使われるという視点が欠落している方が多い。敢えて見ないようにしておられるのかな。

「特別区」になったら、それぞれの区に議会や議員が必要となる。それにかかる経費をどう試算するのかも示されていない。法律ができたので「市」が潰される根拠ができたということ。今の行政区にある全市的な資産は元々市民の税金からできたもの。その区だけの予算でできたものではない。

税収ということでは裕福な区もあれば、貧困な区もある。それを267万人、昼間流入人口含め380万人ともいわれる24区で調整するのか、880万人の代表である、一人のリーダーで決めるのか。つまり、現在の大阪市民の一人の思い(財産)は880万分の267万=30%強でしかなくなるのでは。

以上です。

石原都知事が辞職と「国民の生活が第一」結党パーティ

今朝の朝刊を一読した印象をまとめてみます。例によって、今朝の呟きを少しだけFB用に加工します。

別に「国民の生活が第一」を応援しているわけではありませんが、朝日新聞の今朝の紙面を例示してみる。昨日の「生活」結党記念パーティに4千人の記事は4面ベタ20行と写真。これが現職国会議員を50人近く擁する新政党への扱い。一方、都知事辞職関連は…。他の新聞、テレビも同じなんだろうな。

49人の国会議員を擁する「生活」の現役議員の方たちの日頃の動向は、恐らくそれぞれの支持者あての発信は
されているだろう。でも、なかなかマスメディアに載らないことで、第…極という存在でもないかのような扱いが続く。9月14日のMBS「辺境ラジオ」公開録音でも指摘があったなぁと思う。

「辺境ラジオ」は内田樹、名越康文両氏にMBS西アナが司会の不定期放送番組。「国民の生活が第一」の動きがニュースにならないのか。不思議だなぁ…という導入部分でのお話だった記憶が。「辺境ラジオ」のポッドキャスト http://bit.ly/f0T9CF で確認しようか。政局ってこうして「無意識に植え付けられる」印象に左右されてしまうのか。

新聞の見出しの付け方一つで「印象」は変わる。「記事内容を読んでくれるから、見出しはあれでいい」ということではない筈。多くの市政記者と話す中で、「なんであんな見出しになったの?」と聞いたことも多かった。記者は「デスクが…でも中身はちゃんと書いてるでしょ」との返事多し。

見出しと内容の温度差が大きいことはよくあるけれど、本当に読んでもらいたいことが「立つ」紙面というのは、読んでよかったなと思わせる導入、つまり「見出し」が「立っているかどうか」ではないか。見出しに印象操作されて、「本当に書きたかった」ことが埋没している場合が多くはないだろうか?

たまたま、今朝の新聞の記事の割り振りを見てて、感じたことを書き連ねた。都知事辞任会見、「生活」結党パーティが同じ日の紙面に出ていたことから、新聞の見出しやマスメディアについて、日頃感じていたことを呟き、少し手を入れました。

9条どうでしょう

10月18日に公共政策ラボのシンポジウムが終わった後の打上げで、2006年毎日新聞社から出た「9条どうでしょう」の文庫化(ちくま文庫)がきっかけで、内田樹、小田嶋隆両氏の交友関係が始まったことが話された。

もっと以前からのお知り合いだと思っていたのですが、6年前からとは少し意外な感。

そこから話は「9条どうでしょう」の内容に移る。

これについては私のツイートを再録します。
まず、シンポジウム関連を

「18日に開催した、「ポストグローバル社会と日本の未来」第2弾はニコニコ動画の会員なら見られるんですね。あと有料コンテンツとしても現代ビジネスチャンネルに上がっているようです。 http://bit.ly/VsAa8g ご覧になられた方のご感想も是非お寄せ下さい。」

そしてこんなことを午前と深夜に呟きました。

「シンポジウム後の打上げ席上、内田先生と小田嶋さんが出会うきっかけになった話が。06年毎日新聞社から「9条どうでしょう」を出すことでリアルなおつきあいになったそうです。ちくま文庫になって10月10日にでた「9条…」を翌日ゲット。知り合いに勧めたら先に読了されたとか…(焦)

まだ、途中ですが、「9条どうでしょう」、内田さん、小田嶋さんが話されていた「内容的には全く古びていない、むしろ今日的な」という側面を実感しています。共著者は平川克美さん、町山智浩さんの4人。ちょっと焦ってるので(笑)、今日中に読了したいなぁ。」

そして夜。

「9条どうでしょう」ちくま文庫版、読了。とても6年前に書かれたとは思えない。それと同時に内田樹、平川克美、小田嶋隆、町山智浩という4人の著者が、別に打ち合わせをしたわけでもなく、それぞれの切り口で「古くならない」テーマ、「理想」というものにアプローチしているからか。

今朝も呟きましたが、内田先生、小田嶋さんのお二人は、「9条どうでしょう」という本を書くことでリアルな交友関係ができ、その後の様々なセッションに繋がっている。その事実をシンポジウム打上げで知るまで「9条どうでしょう」という題名からくる印象に、避けて通った自分に気付く。

憲法第9条論議は、改憲派、護憲派と色分けして二項対立図式にピタッと収まってしまうかのような側面を持ち、できれば避けて通りたいテーマであろう。それについては文庫版のまえがきでも、6年前のまえがきにかえて、でも触れられている。敢えて踏み出した6年前を今に繋いだ文庫化は大きい。」

以上です。


大阪南港野鳥園のこと

14日の夜から、15日の夜にかけて「大阪南港野鳥園」についてツイッターで呟いたことをまとめます。

きっかけはこの記事からでした。
野鳥園……もったいないなぁ。開設から30年近くですか…。「 野鳥のオアシス、橋下改革で大ピンチ 大阪南港野鳥園http://t.asahi.com/8dwo 」

野鳥園。大阪港での釣り全面禁止という港湾局の動きに待ったをかけた時に、野鳥園の海側の釣り人が捨てたゴミや、禁止区域に違法に入り込む心ない釣り人の現状を見に行ったのが最初。多くの野鳥がノンビリと集まっているさまは、40年前には海だったととても思えない姿でしたね。

【民営化をやってどこがいけないというツイに】野鳥園の記事を読んでもったいないと思ったのに対し、いつものように公共が大金をはたいてやるべきか…という話に結びつける人がいる。野鳥園は多くのボランティアがいるから成り立っていることもご存じない。知らせない方が悪い…という展開。知ろうともしない自分のことを恥じることもない。


大阪市の埋立て計画で、今はフェリーが入っているATCの南側も、数年前はコンテナ船の基地。だから埠頭の裏側は積み上げられたコンテナで一杯だった。その更に裏になる野鳥園の土地は使いようのない場所。それを干潟にしようという先人の知恵が、40年近く経って小動物の宝庫になってる。


公金をジャブジャブ使って、いろんなものを建てたのは、随分昔の話。その負の遺産処理に四苦八苦しているのも事実。一方、野鳥園にいくらの税金が投入されているのか…手元に資料がないので分かりませんが、そんなに巨額ではない筈。どなたか正確なところを教えて下さい。(この直後、フォロワーの方から年間2300万円と)


何時行っても豊富な野鳥を小屋から観測できるわけではありません。それなら動物園にいけばいいということ。(笑) 人間の都合に合わせて鳥が群れるわけではありませんので…。季節によって渡ってくる鳥や、居心地がいいので居着く鳥や種類も様々。


野鳥園のHPはボランティアの方達が寄せてくれた情報に溢れています。団体で来た子どもたちもワイワイ言いながらレンジャーの説明を目を輝かせて聞く子、全く興味を示さず心ここにあらずの子。色々です。でも一度HPを覗いて下さい。http://www.osaka-nankou-bird-sanctuary.com/


まだ、南港野鳥園のHPを見たことないといわれる方で、興味が合う方は、最後のリンクで是非ご確認下さい。

シンポジウム「うちらの大阪!」を聴講して


3連休最後の祝日。エル大阪で開催された「うちらの大阪!みんなで考えよ!」という大阪の市政改革を考える実行委員会主催のシンポジウムを聴講してきました。元々は「ピースでリバティな大阪!どうしてクレオ!」というローカル色豊かな?タイトルだったらしいです。会場は7割ほど入っており、今の大阪に対する皆さんの関心の高さが現れているように感じました。

13時半から16時半までの3時間。コーディネーターは中島岳志北海道大学准教授、パネリストにピース大阪企画運営委員会委員の小田康徳大阪電気通信大学教授が「平和」について、リバティ大阪の設立時から関わったとご自身がおっしゃってた北口末広近畿大学教授が「人権」について、「男女共同参画」について上野千鶴子東京大学名誉教授、そして「福祉」について中山徹大阪府立大学教授の顔ぶれ。

シンポジウム全体については主催者からのまとめを待ちたいと思いますが、基調講演の中島岳志さんが大阪出身らしいノリのいい出だしでお話になった、「維新の会」の人気の陰りが色んな調査で報じられていることについて、「良かったとは思っていない。むしろ危ないのではないか」と冒頭に話されたことについて印象を書きます。

曰く、「急降下するということは急上昇ということとコインの裏表の関係なのだと思う。その問題こそが私たちが考えなくてはならない「橋下現象」の裏側にある「世論(せろん)」にあるのではないか。急降下するということは何かトピックスを見つけるとそれに対しての反応で急上昇の可能性も十分ある…」という分析です。

中島さんのお話はそのあと、頻繁に支持率調査がされるようになって以降、政権交代直後はおしなべて非常に高く、何かのきっかけで急降下してきた事例が山ほどあるからだと続きます。

維新の会の失速報道については、私も全く同じ印象を持っています。意のままにならない対象を既得権益と見なして叩く手法は、知事当選以降の同時期に市長であった私が身にしみて感じています。メディア露出の凄まじさと、歯に衣着せぬもの言いが、多くの方の共感を得る手法は、市長就任後も留まるところを知らず、森羅万象、国内問題のみならず、外交、防衛なんでもこい、当たるを幸い、切っては捨て、千切っては投げ…。

マスコミを見ているとそんな状態が続いているのは変わりません。

また、橋下批判か…と取られることを承知の上で書いていますが、「普通」の政治家であれば、いや、政府の閣僚、国会議員でなくとも間違いなく責任を問われるであろう類の発言が山ほどあるにも関わらず、彼の人気は衰えていないというのが私の感覚です。

新聞や週刊誌の取材を受けた際に私が例を挙げる橋下さんのスタイルは「360度回転銃座」を持っている人という比喩です。どんなことにもコメントでき、それも攻撃的な言辞をためらわずに出せるという強さは、一体誰を守っているのでしょうか。

彼が批判を向ける対象ではなく、自らとは関係なく、むしろ彼が先頭に立っている側にいると感じる人たちは、拍手喝采、溜飲を下げる場面も多々あったでしょう。しかし、その銃口はいつ自分に向かうか分からないという恐ろしさを感じても不思議ではないでしょう。だって360度回転するのですから…。

8日のシンポジウムを聞きながら、改めてそう感じるとと共に、こうした流れがどこまで行くのか、そんな声が主流になる日はくるのだろうか。その為には何ができるのだろうか。そんな思いで全体を聞いていました。やはり、気付いた人の輪を地道に広げるしかないだろう。単に大阪にとどまらず全国展開しようとしているのだからとも。