あらゆるメディアの皆様へ

多くの犠牲者と、今なお不自由な避難所生活をされている人たちと、最前線で命をかけて戦っている人たちに、「何ができるのだろう」、「何かできることはないのか」と、遠隔地で地震、津波以後の数日間を過ごされた多くの人たちの思いは、確実に被災地の人たちに届くという信念を持ち続けることの大切さを感じさせて貰っています。

私は95年の阪神・淡路大震災のとき、前年夏にそれまで19年近く担当したローカルニュースのキャスターを降り、夏からのNY支局勤務を控えて準備をしながら勤務していました。95年当時と現在とではネット環境も全く違い、ツイッターやFaceBookなどのミドルメディアの台頭により、情報が瞬時に地球上を駆け巡るという大きな変化があります。

今回の「国難」といわれる事態に、大震災発生後も「心ないデマ」、「誹謗中傷」などがむき出しの情報として多くの人の目に触れ、更に傷つけるという連鎖があちこちでみられました。

しかし、例えばツイッターなどで「拡散」した、そういった情報の洪水の中にも「善意」から出たものが多くあり、それを声高に非難したり、反論したりということの無意味さは、日が経つにつれ発信した人のなかの悔いとして残るかもしれません。

善意の連鎖を呼び掛けた人たちに、その情報の正しさをきちんと調べ、確かな情報を届けるのがメディアに課せられた使命だと思います。多種多様な伝達手段があるからこそ、一瞬にして多くの人たちに届くマスメディアの「今、巷に流布している情報の確かさを確認する」使命と、生の叫び声だからこそ「何かできることはないか」と様々な動きをしてくれる善意の人たち…。

今回、あまりに甚大な被害を前に、遠隔地の行政として立ちすくむだけではなく、できることは何かを一つずつ検証させてもらい、対応をし続けています。こうした動きが報道されることによって、救援を待つ現地の人たちに「応援に行くよ」というメッセージになるとともに、他の自治体も必ず同じ動きをしてくれているという信じる心がありました。

もう一つ、こうした新しいメディアに接触することができない人たち、いわゆるメディア弱者への心配りを忘れてはならないとも思います。

今日、ブログを更新するに当たり、私の特別顧問をして頂いている神戸女学院大学内田樹教授のブログ「未曾有の災害のときに」のURLを貼り付けます。先生は神戸の震災を経験され、それをもとに「寛容」、「臨機応変」、「専門家への委託」を提言されています。
http://blog.tatsuru.com/2011/03/13_1020.php