2009年10月23日(金) 認識の乖離のなかで 1


WTCへの府庁舎移転に関する採決の日が刻々と近づいてきています。やはり、落ち着きません。橋下知事からは昨日の午前中にお電話をいただきました。府議会本会議場での所信説明に対するお礼の電話でした。

この間、府と市の担当職員は本当に連絡を密に取り合い、「府市合わせ」だと揶揄されたひと昔前(直近でもあったのかも…)とは隔世の感があるそうです。

そうしたことを身近にいる職員から聞くにつけ、情報の伝わり方の難しさを実感します。昨日のブログにも書きましたが、府議会での知事、議員とのやりとりを私は主にダイジェストで見る方が多く、これは逆に大阪市会での私と市会議員のやりとりを府の関係者もダイジェストで見たり、聞いたりされるのだろうということです。

情報の奔流の中で全てに目を通したりするのはとても無理な相談ですが、新聞やテレビ、ラジオなどで伝えられる情報が記者のフィルターを通した加工情報であるという部分を往々にして忘れる傾向があります。

市長という職務をさせていただいてなければ、情報の読み取り方というか「メディア・リテラシー」を研究したいと思っていたものの、いざ一方の責任ある発信者になると、なかなかそこまで思いを致す余裕がありません。

多くの府議会議員の皆さまとは初対面という状況でした。先方とて同じだと思います。人間の触れ合いというのは、加工情報に多く接していればいるほど、そこから得られている認識情報と自分の目で見、耳で聞くという原情報に接した時にその違いに驚くことが多々あります。

言いたいことを全て言って、それをメディアに全て伝えてもらおうと思うのは大間違いで、如何にメディアが伝えやすい形で情報を発信するのかという部分を抜きには「真意」が伝わらないし、その努力は必要です。

市長になって、様々な記者会見、インタビュー、ぶら下がり取材、囲み取材を受けた経験から、少しずつ学び始めています。取材する側だけにいたのではわからなかった情報の伝わり方が実感できています。

府議会本会議場での同じ空気を共有するという時間が、何かを生み出してくれればいいと思っています。今後の大阪・関西の元気を取り戻すためにも「疑心暗鬼」状態ではない、「なんや、同じ方向を考えてんねや」という安心感から始まる何かを探ります。